投稿履歴

 

いやいやながらするな 投稿日2024年11月5日
「なにかするときいやいやながらするな、利己的な気持からするな、無思慮にするな、心にさからってするな。君の考えを美辞麗句で飾り立てるな。余計な言葉やおこないをつつしめ。」 自省録/アウレーリウス &nb [...]

人生はもとよりこれ一傀儡なり 投稿日2024年11月4日
人生は原(もと)よりこれ一傀儡(かいらい)なり、ただ根蒂(こんてい)の手に在るを要すれば、一線乱れず、巻舒(けんじょ)自由、行止我に在り。一毫(ごう)も他人の提掇(ていてつ)受けざれば、便(すなわ)ち [...]

過ぎ去りしことは 投稿日2024年11月3日
"過ぎ去りしことは、過ぎ去りしことなれば、過ぎ去りしこととして、そのままにせん" イリアス/ホメロス   ホメロスはギリシャの詩人で叙事詩『イリアス』や『オデュッセイア』を残したとされていま [...]

主観を放り出せ 投稿日2024年10月13日
「主観を放り出せ。そうすれば君は助かる。誰が放り出すのを妨げるのだ。」 自省録/アウレーリウス 確かに主観を捨てれば、楽にはなるのでしょうが・・・。 この言葉は肯定的な表現なのか、それとも逆説的な表現 [...]

「私は暇がない」といったりせぬこと 投稿日2024年10月12日
「家庭教師からは・・・苦労に耐え、寡欲であること。自分のことをやって、余計なおせっかいをせぬこと。中傷に耳をかさぬこと。」(を教わった)   『自省録』の訳者・神谷美恵子女史は「訳者序」で「 [...]

サンフランシスコのセクハラ事件 投稿日2024年10月6日
ペリーの黒船来航から約7年、勝は万延元年遣米使節団の補助艦・咸臨丸の艦長としてサンフランシスコに入港します。 長旅を終えた咸臨丸は損傷がひどく修理が必要となりますが、その間、乗員は町に上陸し散策を楽し [...]

体がへこたれないのに 投稿日2024年10月6日
「君の肉体がこの人生にへこたれないのに、魂のほうが先にへこたれるとは恥ずかしいことだ。」 自省録/アウレーリウス   コメントを書くと蛇足になるので止めにしておきます。 [...]

苦手に慣れよ 投稿日2024年10月6日
「すべて君が苦手だと思うものに慣れよ。なぜならば左手は習慣のないために他のあらゆる仕事には不器用なのに、手綱は右の手よりもしっかりと持つ。それはこれに慣れているからだ。」 自省録/アウレーリウス &n [...]

勝の西郷隆盛評 投稿日2024年9月29日
勝は『氷川清話』(講談社学術文庫)の中で西郷隆盛について次のように評しています。 「西郷に及ぶことの出来ないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ。おれの一言を信じて、たった一人で、江戸城に乗込む。おれ [...]

やっていることをよくやること 投稿日2024年9月16日
「・・・人から悪くいわれようと賞められようと、まさに死に瀕していようとほかのことをしていようとかまうな。なぜなら死ぬということもまた人生の行為の一つである。それゆえにこのことにおいてもやはり『現在やっ [...]

ものごとを正しく把握しようとする熱意 投稿日2024年9月16日
アウレーリウスは義父で第15代ローマ皇帝のアントーニヌス・ピウスに畏敬の念を持っていたようで、その理由を『自省録』に書き出しています。その内容をいくつか抜粋してみました。   ・ものごとを [...]

此れ坐忘と謂う 投稿日2024年9月8日
肢體(したい)を墮(おと)し、聰明を黜(しりぞ)け、形を離れ知を去りて、大通に同ず、此(こ)れ坐忘と謂(い)う。   身体を離れ、聡明さを棄て、形に囚われる事なく、知識を忘れれば、道に通じる [...]

信言は美ならず、美言は信ならず 投稿日2024年8月16日
信言は美ならず、美言は信ならず。 老子 自身のためになる忠告は心に苦く感じるものであり、逆に自身にとって快い言葉は信用できるものではない。   伝統の文化や技術、芸能に身を置く者でもなく、 [...]

知に処するは則ち難し 投稿日2024年4月20日
知は難(かた)きに非ず、知に処するは則ち難し 知識を得るのは難しいことではない。しかし、その知識をもって物事に対処する事が難しいのだ。   韓非子   言葉で理想を披露するのは簡 [...]

一杯一杯また一杯 投稿日2024年4月7日
両人対酌すれば山花開く 一杯一杯また一杯 『山中に幽人と対酌す』/李白   李白は中国・唐の時代に生きた詩人で、40代前半に玄宗皇帝に仕えます。しかし、街の酒場で呑んだくれていた李白は皇帝 [...]

苦しみを恐れる者は・・・ 投稿日2024年4月4日
苦しみを恐れる者は、その恐怖だけですでに苦しんでいる。 モンテーニュ 似たような古人の言葉を二つ挙げておきます。   勝海舟 「胸に始終気掛りになるものがあって、あれの、これのと、心配ば [...]

難しいのは、新しい発想を・・・ 投稿日2024年4月3日
”難しいのは、新しい発想を受け入れることではなく、古い発想を忘れることだ。” ジョン・メイナード・ケインズ   新しい発想をはなっから拒絶する人には閉口するしかありませんが、わかっていても現 [...]

人間は自分が信じたいことを・・・ 投稿日2024年4月2日
人間は自分が信じたいことを喜んで信じるものだ。 『ガリア戦記』/ジュリアス・シーザー   信じた対象への敬意からか、はたまた自身の判断を否定したくないためか、そんな理由で人は一度信じるとな [...]

足るは足るを知るなり 投稿日2024年3月23日
老子は満足を知る事の重要性を次の通り語っています。   天下に道あれば走馬を却(しりぞ)け以って糞(つちか)う。天下に道なければ戎馬(じゅうば)、郊に生ず。 天下に『道』があれば馬は田畑を耕 [...]

柔よく剛を制す 投稿日2024年3月20日
軍讖曰く、柔よく剛を制し弱よく強を制す。柔は徳なり、剛は賊なり、弱は人の助くるところ、強は怨みの攻むるところなり。柔も設くるところあり、剛も施すところあり、弱も用うるところあり、強も加うるところあり。 [...]

大器晩成 投稿日2024年3月17日
大方は角なし。大器は晩成す。大音は希音なり。大象は無形なり。 広大な四角の角は見えない。大きな器は完成するのに時間がかかる。大きな音は微かな音にしか聞こえない。巨大な物体は全体の形を把握する事ができな [...]

和光同塵 投稿日2024年3月16日
その鋭きを挫(くじ)き、その紛を解き、その光を和げ、その塵を同じうす。 鋭く尖ったものを挫き、争い事を収め、強い陽射しを和らげ、その上で塵の様に存在がどこにあるのかわからない。 老子   『 [...]

上善は水の如し 投稿日2024年3月10日
上善は水の如し、水は善く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に居る。故に道に幾(ちか)し。 最善の生き方は水のようである。水は万物に利を与え争うことがない。そして人々の好まない低い所へ流れる。故に [...]

黒田家譜・四国攻め 投稿日2024年3月9日
四国の覇者・長宗我部元親が服さないため、秀吉は四国攻めの命を発します。羽柴秀長と秀次は6万の兵を率い阿波に入り、小早川隆景は伊予に3万の兵で上陸します。孝高は検使として宇喜多、仙石等の軍2万と行動を共 [...]

時間を無駄にするなかれ 投稿日2024年3月9日
ベンジャミン・フランクリンの十三徳目 その六   勤勉 時間を無駄にするなかれ。常に何か益のあることに使うべし。無用な行為はすべて断つべし。   凡人にとって「自分の人生、もっとい [...]

賞賛を自己の一部とは考えない 投稿日2024年3月9日
"なんらかの意味において美しいものはすべてそれ自身において美しく、自分自身に終始し、賞賛を自己の一部とは考えないものだ。実際人間は賞められてもそれによって悪くも良くもならない。" 自省録/マルクス・ア [...]

破るる夢も惜しからず 投稿日2024年2月24日
鶯や破るる夢も惜からず 温泉に通ふ下駄と雲雀の声高し   江戸時代、黒田藩中老・立花秋水の作。 現在の筑紫野市二日市温泉に滞在中の一句になります。 この辺りは天拝山の麓で、また田園地帯が広が [...]

人を棄てあるいは笑うべからず 投稿日2024年2月24日
山岡鉄舟は「人にはすべて能不能あり 一概に人を棄てあるいは笑うべからず」という言葉を残していますが、鉄舟にとって絶対に捨てられなかった人物とは、おそらく薩摩の益満休之助の事だと思われます。   [...]

迷わず行けよ、行けばわかるさ 投稿日2024年2月24日
踏み出せばその一歩が道となる。迷わず行けよ、行けばわかるさ。 清沢哲夫   アントニオ猪木氏はこの言葉を一休和尚の言葉と思っていたようですが、実際は清沢哲夫という宗教家の言葉らしいです。ただ [...]

結婚は雪景色!? 投稿日2024年2月24日
結婚は雪景色のようなものである。はじめはきれいだが、やがて雪どけしてぬかるみができる。 山本有三   なるほどと納得して笑ってしまいますが、それでも一回はぬかるみにハマる経験してみるのも悪い [...]

困難は分割せよ 投稿日2024年2月24日
「困難は分割せよ」はデカルトの言葉のようです。こんがらがった問題は、問題点を洗い出し、いくつかに小分けにして、一つ一つ解決するとよいという意味のようです(蛇足ですが)。ナルホドと唸る言葉です。 デカル [...]

私の辞書に諦めという文字はない 投稿日2024年2月24日
ナポレオンの「我輩の辞書に不可能という文字はない」という言葉は有名ですが、ナイチンゲールは、「諦めなどという言葉は私の辞書にはない」といったという事です。 彼女はフィレンツェ生れの英国人になります。3 [...]

Boys and girls, get freedom 投稿日2024年2月24日
ユーミンはラジオで「ひとつやれる事が増えるたびに、私は自由になれる」と言っていましたが、宮本武蔵も「鍛錬をもって体が自由になれば、身体でも勝ち・・・」と『五輪書』で語っています。 ここで言う自由とは、 [...]

中傷を信ずるものによりてなり 投稿日2024年2月24日
中傷される者は二重に傷つけられる。第一に中傷を言う者によりて、第二には中傷を信じる者によりてなり。 ヘロドトス   ヘロドトスは紀元前のギリシャの歴史学者で「歴史の父」と呼ばれています。紀元 [...]

国を全うするを上となす 投稿日2024年2月24日
凡(おおよ)そ用兵の法は、国を全うするを上となし、国を破るは之に次ぐ 軍事を用いる時は、相手国をそのまま味方に引き入れる事がベストであり、撃ち破る方法はその次である。 これは『孫子』の言葉になります [...]

『自省録』は面白そう!! 投稿日2024年2月23日
最近、マルクス・アウレーリウスという人に、興味を持ったので岩波文庫の『自省録』と言う本を取り寄せてみました。マルクス・アウレーリウスは第16代のローマ皇帝で、『自省録』はこのアウレーリウスが自分のため [...]

外的の理由で苦しむとすれば・・・ 投稿日2024年2月23日
君が何か外的な理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。 マルクス・アウレリウス   マルクス・アウレリウスは第16代ローマ皇帝で西暦121年~ [...]

情報が変われば意見は変わる?! 投稿日2024年2月23日
”情報が変われば、意見は変わります。あなたはどうですか?” イギリス人の経済学者、ジョン・メイナード・ケインズの言葉です。   実際は何も変わっていないのに、情報だけで人の感情や考え方は変わ [...]

説教は大変だ!! 投稿日2024年2月23日
最近、つくづく説教とは大変だと思います。幸か不幸か仕事では説教などできる立場になったことはありませんが、身内にはヤッパリ必要で、やらざるを得ない場面が度々起こります。説教とは後進を良き方に導くために行 [...]

決心したことは必ず実行すべし 投稿日2024年2月23日
ベンジャミン・フランクリンの十三徳目 その四   決断 やるべきことをやろうと決心すべし、決心したことは必ず実行すべし。   決断した事は必ずやるべきで、後悔するような事を決断して [...]

日常の出来事に心を乱すなかれ 投稿日2024年2月23日
ベンジャミン・フランクリンの十三徳目 その十一   平静 ささいなこと、日常の出来事に心を乱すなかれ。   誰でも腹の立つことはあるものですが、確かに自身のためにならない思考はムダ [...]

無邪気に公正に考えるべし 投稿日2024年2月23日
ベンジャミン・フランクリンの十三徳目 その七   誠実 偽りで人を傷つけることなかれ。無邪気に公正に考えるべし、しゃべる場合もそうあるべし。   偽りでないとしても聞き伝えの噂話や [...]

小人と仇讐することを休めよ 投稿日2024年1月20日
小人と仇讐(きゅうしゅう)することを休(や)めよ。小人は自ずから対頭(たいとう)あり。君子に向かいて諂媚(てんび)することを休めよ。君子は原(もと)より私恵なし。 小人といがみ合うようなことをしては [...]

要は須らく志を責むべし 投稿日2023年12月23日
人を教うる者、要は須(すべか)らく其の志を責むべし。聒聒(かつかつ)として口に騰(のぼ)すとも、無益なり。 人に物事を教える者の要はその人の志を教える事が肝要である。口うるさくこまごま言い聞かせても無 [...]

女大学と女大学評論 その⑤ 投稿日2023年12月17日
『女大学』 右の條々稚時(いとけなとき)能(よ)く訓(おしふ)べし又書付て折々読しめ忘ることなからしめよ、今の代(よ)の人、女子に衣服道具抔(など)多く與(あた)へて婚姻せしむるよりも此(この)條々を [...]

女大学と女大学評論 その④ 投稿日2023年12月16日
『女大学』 巫覡(みこかんなぎ)などの事に迷て神佛を汚し近付(ちかづき)猥(みだり)に祈べからず。只人間の勤を能(よく)する時は祷(いの)らず迚(とて)も神佛は守り給ふべし。   『女大学評 [...]

女大学と女大学評論 その③ 投稿日2023年12月10日
『女大学』 嫉妬の心努々(ゆめゆめ)発(おこ)すべからず。男淫乱なれば諫(いさむ)べし、怒恨べからず。妬甚(はなはだ)しければその気色(けしき)言葉も恐しく、冷(さま)して却(かえっ)て夫に疎(うとま [...]

女大学と女大学評論 その② 投稿日2023年12月3日
『女大学』 言葉を慎みて多すべからず、仮にも人を謗(そし)り偽を言べからず。人の謗りを聞ことあらば心に納(おさめ)て人に伝え語べからず。謗を言伝ふるより親類とも間(なか)悪敷(あしく)なり家の内(うち [...]

女大学と女大学評論 その① 投稿日2023年11月26日
『女大学』 女は容姿よりも心の優れる方がよいとすべきである。心のない美女は起伏が激しく、目つきも鋭く見えて、人に怒り、言葉にも気配りのない口利きをし、進んで恨み妬み我を誇り、人を謗(そし)り笑って、勝 [...]

公論を借りて私情を・・・ 投稿日2023年11月19日
群疑に因(よ)りて独見を阻むことなかれ。己の意に任せて人の言を廃することなかれ。小恵を私して大体を傷(やぶ)ることなかれ。公論を借りて私情を快くするなかれ 多くの人が受け入れないからといって少数派に意 [...]

金銀も土石のごとく思うなり 投稿日2023年11月12日
我今の生涯は、一身の安楽より外、何の望もこれなし。金銀も用なければ、土石のごとくおもふなり。又人に用られ、誉を得んと思ふ心もなし。奇麗なる家作、衣服等も無用なり。朝夕の食美味を用ゆべからず。只飢ゑず寒 [...]

天下また乱世となるべし 投稿日2023年11月11日
家康公関ケ原の一戦に若(もし)打負たまはば、天下又乱世となるべし。然らば我先九州を打したがへ、其勢を以(もち)、中国を平げて、上方へ攻上り、家康公秀忠公を助け、逆徒をほろぼし、天下を一統して、忠義を盡 [...]

誰か過ちなからん 投稿日2023年11月4日
古語に、人聖人にあらず、誰か過(あやま)ちなからん。過ってよく改む。善、これより大なるはなしといへり。程子も、学問の道他(ほか)なし。其(その)不善を知れば、速(すみやか)に改めて善に順(したがう)ふ [...]

秀吉の手紙 投稿日2023年10月22日
信長より中国の毛利攻めの命を受けた秀吉は姫路に入りますが、これを出迎えた孝高は士卒を町家に、秀吉は一旦、私宅の二の丸へ迎え、本丸の掃除が終わると秀吉をこちらへ案内します。また城下の屋敷を目録にし、秀吉 [...]

善の善なる者也 投稿日2023年10月14日
「知略を好み、人を殺す事を好まず。毎毎和議を以(もち)、敵を降参せしめ、人の軍を全(まっと)うして、人の命を助くる事、毎度其(その)数をしらず。百度勝(かつ)は、善の善なる者にあらず、戦はずして人の兵 [...]

我、人に功あれば念うべからず 投稿日2023年10月7日
我、人に於いて功あれば念(おも)うべからず。しかして過ちは則ち念わざるべからず。人、我に恩あれば忘るべからず。しかして怨みは則ち忘るざるべからず。 人にためにしたことは忘れてしまうべきだが、人に迷惑 [...]

適材適所を把握する秘訣 投稿日2023年9月24日
如水は長政や諸家老を前に、上下の相性は不正の根源になる事があるので注意するように促しますが、これとは別に部下を適材適所に配置するための秘訣についても触れています。   「家老たる者の、威高ぶ [...]

相口と不相口 投稿日2023年9月23日
あるとき、如水は長政や諸家老を前に『相口』と『不相口』について語ります。   「人には『相口』と『不相口』いう相性があり、これは家臣を使うのに大事なことである。家臣には主君と相性がよいものが [...]

吾れ書を読むに方り 投稿日2023年9月17日
吾(わ)れ書を読むに方(あた)り、一たび古昔聖賢(こせきせいけん)、豪傑の体魄(たいはく)皆死せるを想えば、則ち頭を俯して感愴す。一たび聖賢・豪傑の精神、尚お存するを想えば、則ち眼(まなこ)を開きて憤 [...]

相去ること霄壤なり 投稿日2023年9月16日
己を返みる者は、事に触れみな薬石と成る。人を尤(とが)むる者、念を動かせばすなわちこれ戈矛(かぼう)。一は以って衆善の道を闢(ひら)き、一は以って諸悪の源を濬(さら)う。相去ること霄壤(しょうじょう) [...]

一物を多くすれば・・・ 投稿日2023年9月3日
一物(ぶつ)を多くすれば斯(ここ)に一事を多くし、一事を多くすれば斯に一累を多くす。 物を増やせばやる事が増える。やる事が増えれば煩わしさが増える。 佐藤一斎/言志録   完璧を求めて新し [...]

海舟の読書の勧め 投稿日2023年7月26日
海舟曰く「若い時は本が嫌いで手紙でも書きはしなかった。もと剣術遣いの方だからネ。四年ほど押し込められてる時に、隙(ひま)でしょうがないから読書したのサ。朝は西洋サ。昼は漢書。夜は日本の雑書でたいてい読 [...]

己に在るものを恃むべし 投稿日2023年7月15日
士は当(まさ)に己に在るものを恃(たの)むべし。動天驚地、極(きわ)めて大事の事業も、亦(また)都(す)べて一己より締造す。 士は己の力を頼りにすべきである。大事業もすべて一人の持つ力と思いから実現す [...]

麻生家信の事 投稿日2023年5月3日
筑前国続風土記の古城古戦場三「内藤陣山」には現在の北九州市一帯に勢力を張った麻生氏の嫡男・麻生家信の事が次の通り書かれています。   或る時、秘蔵の名馬、絆綱(はなずな)をはり切、城中より敵 [...]

二天記・巌流島の戦い 投稿日2023年4月30日
巌流島の決闘当日   日高まるまで武蔵、寝て起きず。   宿の亭主は起きてこない武蔵を心配して「辰の刻になりましたが・・・」と伝えます。そこへ小倉より催促の飛脚が来ます。 &nb [...]

七年一変の説 投稿日2023年4月30日
ワシはもと西洋人の言うた七年一変の説ネ。アレを信じているのだ。どうも七、八年ないし十年にして人心が一変するよ。 「新訂海舟座談」より   ずいぶん以前、講師の先生からコンピュータ業界は7 [...]

勝先生は殺生を好まず 投稿日2023年4月29日
害をしない鳥が自分の山で面白く遊んでいるのをむやみにぶち殺して、何がおもしろいのだエ、こっちは長崎で銃猟に誘われて出たが、いつでもねらいをはずして、一羽もころしたことはなかったヨ。   また [...]

当に人情を斟酌し 投稿日2023年4月23日
政(まつりごと)を為す者は但(ただ)当(まさ)に人情を斟酌(しんしゃく)し之の操縦を為す。之を禁不禁の間に置き、其れを過甚(かじん)に至らざらしむ。是(これ)も亦(また)時の政然(しか)りと為す。 佐 [...]

武蔵と伊織の出会い 投稿日2023年4月22日
武蔵が出羽を旅していた時の事、正法寺原辺りでドジョウを桶に入れた十三四の少年と出会います。空腹の武蔵は、そのドジョウを何匹か所望するも、少年は笑って桶ごと武蔵に渡し去って行きました。 翌日、武蔵は旅を [...]

勝と伊藤博文 投稿日2023年4月13日
岩波文庫『新訂海舟座談』の付録には勝の使用人・森田米子女史の回顧録が載せられています。 伊藤さんは、始めチョイチョイお出でしたが、何でしたか、中ゴロから、フイと疎遠におなりでした。それで、伊藤サン [...]

能く人を容れる者にして 投稿日2023年3月24日
能(よ)く人を容(い)るる者にして、而(しか)る後、以て人を責むべし。人も亦(また)其(その)の責を受く。人を容るること能(あた)わざる者は人を責むること能わず。人も亦其の責を受けず。 人を受け入れる [...]

禍は免るること能わず 投稿日2023年3月21日
数有るの禍(わざわい)は竟(つい)免るること能(あた)わず。 人は禍に見舞われると神に祈ってこれを祓おうとするが、元々、禍福は多数あって決して避けられるものではない。もし、一時的に避ける事ができたとし [...]

苦は楽の種、楽は苦の種 投稿日2023年3月11日
苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし。 水戸光圀の言葉とする書籍もありますが、原典は不明です。 光圀は時代劇『水戸黄門』で超有名ですが、歴史的には日本の史書『大日本史』の編纂を指示した事でも知られていま [...]

帰師は遏むるなかれ 投稿日2022年12月17日
孫子の「囲師遺闕」(囲んだ敵には逃げ道を残す)は有名な言葉ですが、その次には「帰師勿遏」という言葉が続きます。「帰師(きし)」とは自国に逃げ帰る敵。「遏」は「とどめる」。「勿」は禁止形の「なかれ」で「 [...]

是れを過ちと謂う 投稿日2022年12月10日
子曰(いわく)、過(あやま)ちて改めざる、是(こ)れを過ちと謂(い)う 孔子/論語・衛霊公代十五   自身も若い頃はプライドから過ちを認められず、なかなか前に進めない状況に陥るこ [...]

冷眼にて人を観る 投稿日2022年12月4日
冷眼観人、冷耳聴語、冷情当感、冷心思理 冷眼にて人を観、冷耳にて語を聴、冷情にて感に当たり、冷心にて理を思う 洪自誠/菜根譚   「冷」は冷静なという意味。人とは何事にも感情が入りやすいもの [...]

人を責むる者は・・・ 投稿日2022年11月5日
人を責むる者、過ある中に於いて過なきを原(たず)ぬれば、則ち情平かなり。己を責むる者、過なき内に於いて過ありを求むれば、則ち徳進むなり。 人を責めるときは、過失の中にも過失のなかった部分も考慮してやれ [...]

馬耳東風って李白の言葉!? 投稿日2022年10月15日
詩を吟(ぎん)じ賦(ふ)を作る北窓の裏 万言(まんごん)値(あたい)せず一杯の水 世人これを聞き皆頭(こうべ)を掉(ふる)う 馬耳を射る東風の如(ごとく)あり   これは李白作「荅王十二寒夜 [...]

小敵の堅は大敵の擒なり 投稿日2022年9月18日
故に用兵の法は、十なれば則(すなわち)ちこれを囲み、五なれば則ちこれを攻め、倍なれば則ちこれを分かち、敵すれば則ちこれと能(よ)く戦い、少なければ則ちこれを逃れ、若(し)かざればこれを避く。故に小敵の [...]

怒りを以って師を興すべからず 投稿日2022年9月13日
『孫子 -火攻篇第十二-』に書かれている言葉です。 主は怒りを以って師を興(おこ)すべからず。 将は愠(いきどお)りを以って戦うべからず。 利に合えばすなわち動き、利に合わなければすなわち止む。 [...]

佐々木小次郎の経歴 投稿日2022年8月27日
二天記には巌流の事が次のとおり簡単に記載されています。   巌流小次郎と云う剣客あり、越前宇坂庄浄教寺村の産れなり。天資、豪宕(ごうとう)壮健、類なし、同国の住(人)、冨田勢源が家人と成りて [...]

完戸何某との決闘 投稿日2022年8月1日
武蔵、伊賀国にて 完戸(ししど)何某(なにがし)と云う者、鎖鎌の上手なり 野外に出て勝負を決す 完戸 鎌を根出す所を 武蔵 短刀を抜き完戸が胸を打ち貫き立所に斃れしを進て討果す 完戸が門弟等、抜連れ [...]

夢想権之助の挑戦 投稿日2022年7月24日
武蔵、江府に在し時 夢想権之助と云し者来し勝負を望む 権之助は木刀を携う 武蔵、折節、楊弓の細え有しか、直に割木を以て立向う 権之助、会訳もなく打ち驅る 武蔵、一打に撃たはす 依りて閉口して去 豊田 [...]

行蔵は我に存す 投稿日2022年7月3日
福沢諭吉は『瘦我慢の説』という書で、幕臣でありながら新政府に仕えた勝海舟を批判した上、この書の公表の了解を勝自身に求めています。   福沢はこの書で勝の功績を認めながらも 「権道(けんどう) [...]

待てば霽る待たざれば沾濡す 投稿日2022年6月5日
待てば霽(は)る。待たざれば沾濡(てんじゅ)す。 待てば晴れる。待たなければ濡れてしまうことになる。 佐藤一斎/言志録   事が上手く行かない時は待っていれば、じきに好転するものだ。慌てて行 [...]

奔馳角逐の心を消すべし 投稿日2022年5月3日
自ら老て少を視れば、以て奔馳(ほんち)角逐(かくちく)の心を消(しょう)すべし。自ら瘁(すい)より栄を視れば、以て紛華(ふんか)靡麗(びれい)の念を絶つべし。 老いた立場で若い時を見る事で、むやみに [...]

一飯も竟に終身の感を致す 投稿日2022年4月23日
千金も一時の歓を結び難く、一飯も竟(つい)に終身の感を致す。蓋(けだ)し愛重ければ反して仇をなし、薄極まわりて翻(ひるがえ)って喜びをなす也。 大金を贈っても喜ばれない事があれば、一度の食事を提供し [...]

例えば卒然の如し 投稿日2022年4月16日
以下、「孫子/九地篇」より 故によく兵を用うる者は、例えば率然(そつぜん)の如し。率然とは常山の蛇なり。その首を撃てば則ち尾至り、その尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶に至る。 用兵 [...]

衆は害に陥りて能く勝敗を為す 投稿日2022年4月4日
これを亡地に投じて然(しか)る後に存し。これを死地に陥れて然る後に生く。 衆は害に陥りて然る後に能く勝敗を為す。 孫子/九地篇   兵は死ぬか生きるかの状況に陥れてこそ生き残れる。 集団 [...]

徳は才の主 投稿日2022年3月21日
徳は才の主、才は徳の奴(やっこ)。才ありて徳なきは、家に主なくして、奴、事を用うるが如し。いかんぞ魍魎(もうりょう)の猖狂(しょうきょう)せざらん。 徳は才の主人であり、才は徳の使用人である。才能があ [...]

兵とは国の大事なり 投稿日2022年2月26日
孫子いわく、兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざる也 孫子の冒頭、計篇には上記の通り「戦争とは国の大事である。生きるか死ぬかの存亡の道。様々な事情を察し、慎重に考慮しなければなら [...]

信なくば立たず 投稿日2022年2月23日
『論語(顔淵)』には「信なくば立たず」という言葉が見えますが、逆に『韓非子(備内篇)』には「人を信ずれば則ち人に制せらる」と書かれています。 これは性善説と性悪説の延長で非常に難しい問題です。 ずいぶ [...]

その鋒鋩を露すべからず 投稿日2022年2月13日
澹泊(たんぱく)の士、必ず濃艶(のうえん)なる者の疑う所となり、検飾(けんしょく)の人、多く放肆(ほうし)なる者の忌む所となる。君子、これに処し、もとより少しもその操履(そうり)を変ずべからず、または [...]

古城古戦場 背振山 投稿日2022年2月6日
『筑前國続風土記』古城古戦場五 背振山 には次の通り書かれています。   南朝記にいわく、南朝天授元年(1375年)三月、探題今川了俊、大内茂弘、筑前背振山に陣す。菊池肥前守松浦黨(ともがら [...]

則ち誠聞こえず 投稿日2022年1月8日
観聴不参則誠不聞 観聴参せずんば、則ち誠聞こえず 自らの目で見、耳で聞かなければ、真実は見えてこない。   韓非子   韓非子は、取次ぐ者を置いて任せてしまうと、臣下の声が届き難く [...]

智者の慮はかならず利害に雑う 投稿日2022年1月1日
智者の慮(おもんぱかる)は必ず利害に雑(まじ)う 孫子の九変篇には、上記の通り「智者は、物事には必ず利と害が共存する事を考慮するものである」と書かれています。   だからこそ、「利」がありそ [...]

禍は口より出で 投稿日2021年12月25日
禍自口出病自口入 佐藤一斎/言志録   言語を慎しまざれば、以て禍を招くに足り、飲食を慎しまざれば、以て病を致すに足る。諺に云う、禍は口より出で、病は口より入る。   元々「禍自口 [...]

寧耐は事を成す 投稿日2021年12月25日
急迫は事を破り、寧耐(ねいたい)は事を成す。 佐藤一斎/言志録 苦難に耐え、コツコツと努力を積み上げる事が、成功への近道といったところでしょうか。 [...]

姦悪をなす者その才人に過ぐ 投稿日2021年11月6日
古今姦悪をなす小人、皆才人に過ぐ。商辛(しょうしん)のごときは最も是非常な才子なり。 佐藤一斎/言志録 佐藤一斎はこの様に書き、商辛を例に挙げています。商辛とは「酒池肉林」の故事で有名な殷の紂王の事で [...]

口に才ある者は・・・ 投稿日2021年10月3日
口に才ある者は多くの事に拙(せつ)なり。 伊藤東涯   東涯は江戸時代初期の儒学者・伊藤仁斎の嫡男で、仁斎の開いた「古義堂」の二代目塾長になります。 ここに記した言葉は「口に才ある者」に批判 [...]

衆これを悪むも必ず察す 投稿日2021年9月26日
子曰、衆悪之必察焉、衆好之必察焉 子曰、衆これを悪(にく)むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す。 孔子/論語・衛霊公代十五   先生(孔子)はこう言った「人々が悪く言う時もよく事情を察し [...]

志無きの人は鈍刀の如し 投稿日2021年9月11日
志有るの士は利刃(りじん)の如し。百邪辟易(ひゃくじゃへきえき)す。志無きの人は鈍刀(どんとう)の如し。童蒙(どうもう)も侮翫(ぶかん)す。 佐藤一斎/言志録   切れ過ぎるのもどうかという [...]

則ち怨み遠のく 投稿日2021年8月28日
子曰、躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣 子曰、自ら躬(み)を厚くして、而(しか)も人に於いては薄く責むれば、則(すなわ)ち怨み遠のく。 孔子/論語・衛霊公代十五   佐藤一斎は『言志録』の中 [...]

三十六策、是れ走を上計とす 投稿日2021年8月22日
檀公三十六策、是れ走(にぐる)を上計とす 三十六計逃げるにしかず。 蕭子顕/南斉書・王敬則伝   檀公(だんこう)・・・南北朝時代の宋の将軍・檀道済(だんどうさい)の事。『兵法三十六計 [...]

己の欲せざる所は人に施す勿れ 投稿日2021年8月22日
子貢問うて曰、一言にして以て終身これを行なうべき者ありや。子曰、それは恕か、己の欲せざる所は人に施す勿(なか)れ。 弟子の子貢が「一生を通じて為すべきことを一言で表すとどんな言葉でしょうか?」と孔子に [...]

漱石が子規からもらった漱石 投稿日2021年8月16日
漱石枕流 石に口を漱(すす)ぎ、流れを枕にす。 晋書   晋の孫楚(そんそ・晋の政治家)は天才肌ではあったのですが、諸刃の刃で自信家で負けず嫌いな面もありました。あるとき隠遁生活が理想の生き [...]

兵の形は水に象る 投稿日2021年8月14日
夫(そ)れ兵の形は水に象(かたど)る。水の行は高きを避けて下(ひく)きに趨(おもむ)く。兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝を制す。故に兵に常勢なく、水に常形なし。能 [...]

逆境の中に居ればみな薬石 投稿日2021年8月13日
逆境の中に居れば、身の周りみな鍼砭薬石(しんぺんやくせき)なり、節を砥(と)ぎ行いを礪(みが)きて、而(しかも)も覚らず。順境の内に処れば、前尽(ことごと)く兵刃戈矛(へいじんかぼう)で満る、膏(あぶ [...]

風林火山のつづきは? 投稿日2021年8月13日
風林火山 武田信玄   この言葉は武田軍の軍旗の通称で、次の通り書かれていました。   「其疾如風其徐如林侵掠如火不動如山」 其(そ)の疾(はや)きこと風の如く、其の徐(しず)かな [...]

人を致して人に致されず 投稿日2021年8月10日
先に戦地に処(お)りて敵を待つ者は佚(いっ・楽で余裕がある)し、後れて戦地に処りて戦いに趨(おもむ)く者は労す。故に善く戦う者は、人に致して人に致されず。能く敵人をして自ら至らしむる者はこれ利すればな [...]

戦わずして人の兵を屈する 投稿日2021年8月9日
百戦百勝は善の善なる者にあら非ざるなり、戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり 全戦全勝は最善の方法ではない。戦わずに敵を従わすのが最善のやり方である。 孫子/謀攻篇   孫子には冒頭の [...]

公平正論には手を犯すべからず 投稿日2021年8月8日
公平正論には、手を犯すべからず。一たび犯せば則ち羞を万世に残す。権門(けんもん)私竇(しとう)には脚を着くべからず。一たび着けば終身の汚点とす。 私欲のために公平正論を退ける様な事をしてはいけない。一 [...]

是れ多少実際の学問なり 投稿日2021年8月7日
山に登り、川海を渉り、数十百里を走り、時有って露宿して寝ず、時有って饑えれども食わず、寒けれども衣ず、此(こ)は是(こ)れ多少実際の学問なり。   佐藤一斎は『言志録』で実践の重要性をこの様 [...]

一身の得喪は慮るに足らず 投稿日2021年8月4日
当今の毀誉(きよ)は懼(おそ)るるに足らず。後世の毀誉は懼る可(べ)し。一身の得喪(とくそう)は慮(おもんぱか)るに足らず。子孫の得喪は慮る可し 佐藤一斎/言志録   現在の評判よりも後世の [...]

不可なるを知りて為す者か 投稿日2021年8月2日
子路(しろ)、宿る石門に於いて、晨門(しんもん)の曰わく、奚(いずれ)れよりぞ。子路が曰わく、孔氏よりぞ。曰わく、是れ其の不可なる事を知りて而(しか)もこれを為す者か。 子路が泊まろうとして町の門に至 [...]

自由と我が儘との境は? 投稿日2021年8月1日
自由と我が儘との境は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にありし 福沢諭吉   ずいぶん以前、同僚と車に乗っていた時、「車の割り込みの定義とは?」という話になりました。色々と議論した末に、相手 [...]

博奕を成すは猶お已むに賢れり 投稿日2021年7月27日
子曰、終日飽きるまで食し、心用いる所なきは、難いかな。博奕(ばくえき・博打の事)なる者あらずや。これを成すは猶(な)お已(や)むに賢(まさ)れり。 日々飽食し、考える事もしない者は、先が思いやられる。 [...]

其の長ずる所を説かしむべし 投稿日2021年7月26日
凡(およ)そ人と語るには、須(すべ)らく渠(かれ)をして其の長ずる所を説かしむべし。我に於いて益有り。 佐藤一斎/言志録   人と語り合うには、相手の得意な話をしてもらえば話も弾むし、会話も [...]

愛悪の念頭、最も藻鑑を累わす 投稿日2021年7月23日
愛悪の念頭、最も藻鑑(そうかん)を累(わずら)わす 好き嫌いが念頭にあれば、その人の人間性を判断するのに心を煩わす。 佐藤一斎/言志録 この言葉はもっともな事ではありますが、いつの時代も『愛悪の念頭 [...]

過を改むる者は鮮なし 投稿日2021年7月22日
昨の非を悔ゆる者は之れ有り、今の過(あやまち)を改むる者は鮮(すく)なし 過去の事で後悔する者はいるが、現在の過ちに気付いて改める者は少ない。 佐藤一斎/言志録 若い頃は後悔の繰り返しでしたが、先が [...]

物事に数寄好みなし 投稿日2021年7月22日
物事に数寄(すき)好みなし 宮本武蔵/独行道   素直に受け止めれば「食わず嫌いはよろしくない」という事でしょう。 様々な事をいったんは受け入れ、関心を持ってみる事が大事であり、ひとめ見ただ [...]

愚直でなければ・・・ 投稿日2021年7月20日
事を遂げるものは、愚直でなければ。あー才ばかりに走つてはイカヌ。 勝海舟/海舟語録   中国の古い書物『列子』には「愚公山を移す」という話が載っています。 愚公老人の住む地域の人々は、北へ行 [...]

人は木石にあらず皆情あり 投稿日2021年7月19日
表題の言葉は単独で語られる事が多いようですが、実は「美女に惑う事を戒める詩」の様で後が続きます。   人は木石にあらず皆情あり。傾城(けいせい)の美女には遇わざるに如かず   これ [...]

聖人も如何ともすることなし 投稿日2021年7月18日
志なき人は聖人もこれを如何(いかん)ともすることなし 荻生徂徠   私の教育を担任された先生方はほぼ尊敬される方々でしたが、当人が「志なき人」であったため、この言葉通りに如何ともすることがな [...]

外から見て御覧ナァ 投稿日2021年7月18日
内で喧嘩をして居るからわからないのだ。 一つ、外から見て御覧ナ。直きにわかつてしまふよ 勝海舟/海舟語録   西洋列強を前に、国内で揉めている時ではないと言う趣旨の言葉と思われるのですが、や [...]

道の鍛錬する所 投稿日2021年7月18日
道の鍛錬する所 宮本武蔵/五輪書-地の巻-   五輪書・地の巻の「兵法を鍛錬するための九つの心構え」の第二にこの言葉が挙げられています。 武蔵は『五輪書』の中で『道』いう言葉を多数使っていま [...]

春風を以って人に接し 投稿日2021年7月18日
春風を以って人に接し、秋霜(しゅうそう)を以って自らを粛す 佐藤一斎/言志後録   こうはなりたいのですが・・・なかなかです。実際にこういう人はそこそこ見かけるのですが、生まれ持ってのものな [...]

心常に兵法の道を離れず 投稿日2021年7月17日
心常に兵法の道を離れず 宮本武蔵/独行道   これは独行道の最後に挙げられる言葉になります。武蔵自身はこの言葉にいろんな意味を含めたのかも知れませんが、凡人の私にとっては単純に「継続は力なり [...]

我身にとり物を忌むことなし 投稿日2021年7月15日
我身にとり物を忌むことなし 宮本武蔵/独行道   自分自身は奇異な事や迷信などに囚われるような事はない。と言った意味でしょうか? [...]

筆画之を掩うこと能わず 投稿日2021年7月13日
心の邪正、気の強弱は、筆画之を掩(おお)うこと能わず。喜怒哀懼(きどあいく)、勤惰静躁(きんだせいそう)に至りても、亦(また)皆諸(これ)を字に形(あら)わす。 心が正しいかそうでないか、気が強いか弱 [...]

小倉碑文原文 投稿日2021年7月12日
以下、宮本武蔵の碑の傍らに置かれている北九州市教育委員会の案内板からの転載です。   天仰 実相 円満 兵法 逝去 不絶 碑文(文中の異字・異体字等は常用漢字に改めた) 兵法天下無双 [...]

賢不肖、人廋す能わず 投稿日2021年7月12日
心の形(あら)わるる所は、尤(もっと)も言と色とに在り。言を察して色を観れば、賢不肖(けんふしょう)、人廋(かく)す能(あた)わず。 人の心が、表に現れるのは言葉と表情である。言葉を察して表情を伺えば [...]

善悪につき他を妬まず 投稿日2021年7月12日
善悪につき他を妬(ねた)まず 宮本武蔵/独行道   武蔵の言葉は人の心に響く理解し易いものも多いのですが、難解なものも結構、登場します。特に『独行道』は壁書文なので一つの文章が短く表記され、 [...]

萬づ依怙の心なし 投稿日2021年7月11日
萬づ依怙の心なし 宮本武蔵/独行道   贔屓の心を捨て客観的になる事で、全ての事に対して冷静な判断をできるようになるという解釈でよいのでしょうか? [...]

僅かな事にも気を付ける事 投稿日2021年7月11日
僅かな事にも気を付ける事 宮本武蔵/五輪書-地の巻-   武蔵はこの言葉を「兵法を鍛錬するための九つの心構え」の第八に挙げています。 手前の事だけではなく、色んな事に興味を以って観察する事、 [...]

始めて見る時に於いて多くを謬らず 投稿日2021年7月10日
人の賢否は初めて見る時に於て之を相するに、多くを謬(あやま)らず。 人が賢いかそうでないかは、始めて会った時に受けた印象での判断で、ほとんど誤る事はない。 佐藤一斎/言志録   昔は人を見た [...]

同じ事を度々する事悪き所なり 投稿日2021年7月9日
戦う内に同じ事を度々する事悪き所なり。同じ事二度は是非に及ばず三度するは甚だ悪し。 宮本武蔵/五輪書-火の巻-   武蔵は同じ戦法を二度行うのは良くなく、三度以上繰り返すのは非常に悪いことだ [...]

鍛錬を以て總體自由になれば 投稿日2021年7月6日
直なる道を務めては手に打ち勝ち、目に見る事も人に勝ち、又鍛錬を以て總體(からだ)自由になれば身にても人に勝ち、又道になれたる心なれば心を以ても人に勝ち此所に至つては、いかにして人に負くる道有らんや 真 [...]

天仰実相円満之兵法逝去不絶 投稿日2021年7月5日
肥後において逝去する際、自書の「天仰実相円満之兵法逝去不絶」の文字を遺像とせよと遺言する。よって孝子は碑を建て後世に永く伝える事とする。 宮本伊織/小倉碑文   武蔵は1645年5月19日に [...]

此兵法の書五巻に仕立つる事 投稿日2021年7月4日
五つの道を分ち、一まき一まきにして、其理を知らしめんが為に、地水火風空として五色に書き顕す也。 宮本武蔵/五輪書-地の巻-   武蔵は『地の巻』で次の通り、各巻の意味を簡単に説明していますが [...]

懇到切至にして以って之に告ぐ 投稿日2021年7月4日
善を責むるは朋友の道なり。只だ懇到切至(こんとうせつし)にして以って之に告ぐべし。然らずして、徒(いたず)らに口舌に資(と)りて、以て責善の名を博せんとせば、渠(か)れ以て徳とな為さず、卻(かえ)って [...]

人と物争うべからず 投稿日2021年7月2日
人と物争うべからず、人に心をゆるすべからず 豊臣秀吉   上の句だけだと思慮深さを感じるのですが、下の句が秀吉の前半生の苦悩を表しているのかもしれません。これを名言とするかは人それぞれでしょ [...]

礼、楽、射、御、書、数、文に通じざる事なし 投稿日2021年7月1日
兵法のみならず、礼、楽、射、御、書、数、文に通じざる事なし 宮本伊織/小倉碑文   武蔵は多才であったようで、礼儀作法、音楽、弓、乗馬、書、算術、文筆などに通じていたようです。書で言えば『枯 [...]

諸芸にさはる所 投稿日2021年7月1日
諸芸にさはる所 宮本武蔵/五輪書-地の巻-   武蔵はこの言葉を「兵法を鍛錬するための九つの心構え」の第三に挙げています。 また、同様に 第四に諸職の道を知る事。 第六に諸事目利きを覚ゆる [...]

人の言は須らく容れて之を択ぶべし 投稿日2021年6月30日
人の言は須(すべか)らく容れて之を択(え)ぶべし。拒(こば)む可(べ)からず。亦惑う可からず 佐藤一斎/言志録   簡単にいえば、人の話はすべて受け入れて話の取捨は自分で判断する事。また、し [...]

世の大がねに合せて見る時は 投稿日2021年6月29日
実の道を知らざる間は佛法によらず、世法によらずおのれおのれは慥(たし)かなる道と思ひ、よき事と思へ共、心の直道よりして、世の大がねに合せて見る時は、其身其身の心のひいき、其目其目の心のひずみによる、実 [...]

宮本武蔵を追加しました 投稿日2021年6月28日
メニューに宮本武蔵を追加しました。 宮本武蔵は戦国末期から江戸初期に生きた剣豪になります。生涯に六十数回の決闘を行い負けた事がなく、敵の眉間を撃たなければ勝とはしなかったいいます。その技は剣術以外に [...]

巌流島の戦い・小倉碑文 投稿日2021年6月27日
ここに兵術の達人・岩流と言う者がおり、武蔵に雌雄を決する事を求めた。岩流は真剣勝負を求めたが、武蔵はこれに対し「あなたは白刃を揮(ふる)って妙技を尽くせばよい。私は木刀を以て秘術を顕わそう」と硬い約束 [...]

心に貪りなき時は人に諂わず 投稿日2021年6月26日
心に貪りなき時は人に諂(へつら)わず 上杉謙信/家訓十六ヶ条   「欲が少なければ、人に媚び諂う必要もなくなる。」という意味でしょうが、社会で生きて行く上では、そうも言っていられないという所 [...]

迷わず行けよ、行けばわかるさ 投稿日2021年6月25日
踏み出せばその一歩が道となる。迷わず行けよ、行けばわかるさ。 清沢哲夫   アントニオ猪木氏はこの言葉を一休和尚の言葉と思っていたようですが、実際は清沢哲夫という宗教家の言葉らしいです。ただ [...]

あまりまろきはころびやすきぞ 投稿日2021年6月25日
丸くとも一人かどあれや人心、あまりまろきはころびやすきぞ 坂本龍馬   坂本龍馬自身、結構に柔軟性のある考えを持っていたように感じるのですが、その本人が言うのですから、間違いないでしょう。 [...]

武蔵、吉岡一門と乱闘 投稿日2021年6月24日
吉岡の門下生は相談して「兵術ではかなわない。策をめぐらして武蔵を撃つ」と吉岡亦七郎は決闘という名目で洛外の下松にて待ち合わす。しかしそこには彼の門下生数百人が兵杖や弓を以って武蔵を倒そうと待ち構える。 [...]

成リ揚ル事ナキナリ 投稿日2021年6月24日
稚トイフコトヲ離レヌ間ハ物ノ成リ揚ル事ナキナリ 橋本左内/啓発録-去稚心-   ピーターパンシンドロームというのがありますが、分かって「大人になりたくない症候群」を演じているのならまだ救いは [...]

武蔵、伝七郎と雌雄を決する 投稿日2021年6月23日
吉岡伝七郎と洛外にて再び雌雄を決する。伝七郎は袖に五尺ほどの木刀を持参したが、武蔵は期を見て彼の木刀を奪いこれを撃つ、伝七郎は地に倒れて死んだ。 宮本伊織/小倉碑文   これが、吉岡一門との [...]

死を必する者は生く 投稿日2021年6月23日
生を必する者は死し、死を必する者は生く 上杉謙信   戦国時代とは非情の時代だったようです。信長も「人城を頼らば城人を捨てん」と言う言葉を残しています。平和な時代では、守りに入ると逆に立場を [...]

我が成す事は我のみぞ知る 投稿日2021年6月23日
世の人は我を何とも言わば言え我が成す事は我のみぞ知る 坂本龍馬   龍馬のような偉大な人物でも、人の雑言を多少は気にしていたと言う事でしょうか? [...]

我事において後悔をせず 投稿日2021年6月23日
我事において後悔をせず 宮本武蔵/独行道   人によってはまるで後悔しない人もいますが、それもどうかと思う反面、うらやましい事でもあります。 [...]

武蔵、吉岡家に試合を請う 投稿日2021年6月22日
のちに京都に到り、扶桑(日本)第一兵術家・吉岡家に試合を請う。 吉岡家の嗣・清十郎と洛外の蓮台野にて竜虎の威を争うも、木刀の一撃で清十郎は眼前に倒れ伏し勝敗を決する。一撃勝負の約束があったため門下生が [...]

我、人に負かず 投稿日2021年6月22日
寧ろ人、我に負(そむ)くとも、我、人に負かず 佐藤一斎/言志後録   ここまでの心境へ到達するのはただ者ではなかなか難しく思われます。 三国時代の曹操は「我、人に背くとも、人、我に背かず(私 [...]

千日を鍛とし萬日を錬とす 投稿日2021年6月22日
千日の稽古を鍛とし、萬日の稽古を錬とす 宮本武蔵/五輪書-水の巻-   自身は人生で、ほぼ努力した覚えがありませんが、頂点を極める人はやっぱり努力してんだろな~って思います。 [...]

おおようはせぬがよきなり 投稿日2021年6月22日
しやせまし、せずやあらましと思う事は、おおようはせぬがよきなり やるかやらぬか迷う時は、たいてい止めておいた方がよい 吉田兼好/徒然草   迷った馬券もこの通りで、買わなきゃ良かったとなる [...]

人城を頼らば城人を捨てん 投稿日2021年6月22日
人城を頼らば城人を捨てん 織田信長   守りに入るとかえって窮地に陥ることとなるという事でしょうか [...]

古き道具は所持せず 投稿日2021年6月21日
末々代物となる古き道具は所持せず 将来、高価な価値を持つ様な古い道具は所持しない。 宮本武蔵/独行道   武蔵は価値がある物、高価な物を身のまわり置く事を好まなかったようです。 また、『独行 [...]

後は大に歪むものなり 投稿日2021年6月20日
少し心の歪みに付いて、後は大に歪むものなり 小さい歪みは、あとには大きく歪むものである 宮本武蔵/五輪書-地の巻-   最初が曲がっていれば、放物線を描く様に大きく曲がって行くに違いありませ [...]

恋慕の思なし 投稿日2021年6月19日
恋慕の思なし 宮本武蔵/独行道   武蔵は生涯、婚姻することはありませんでしたが、これは修行のために恋愛を封印したという事でしょうか・・・ [...]

心に誤なき時は人を畏れず 投稿日2021年6月19日
心に誤なき時は人を畏(おそ)れず 上杉謙信/家訓十六ヶ条   「自分に誤りがないという信念があれば、人を恐れる心は生じない。」という意味でしょうが、この境地に至るには、まず高く広い視線で物事 [...]

人是を名人と云也 投稿日2021年6月19日
平常心を以(もって)一切の事をなす人を、人是(これ)を名人と云也 柳生宗矩/兵法家伝書   怒り、怯え、焦り、緊張、これらのような感情を抑えて事をなす人になれればよいのでしょうが、人それぞれ [...]

勝たむとうつべからず 投稿日2021年6月17日
勝たむとうつべからず負けじとうつべきなり 博打は勝とうとして打ってはいけません。負けないように打つのです。 吉田兼好/徒然草   吉田兼好が勝負に勝つ秘訣を尋ねた際に、博打名人が語った勝負事 [...]

役に立たぬ事をせざる事 投稿日2021年6月17日
役に立たぬ事をせざる事 宮本武蔵/五輪書-地の巻-   これは『五輪書 地の巻』の末に書かれる「兵法を鍛錬するための九つの心構え」の第九に挙げられています。 一瞬なるほどと思ってしまうのです [...]

理到るの言は人服せざるを得ず 投稿日2021年6月17日
理(ことわり)到るの言は、人服せざるを得ず。 佐藤一斎/言志録   佐藤一斎は道理のある言葉に人は伏さざるを得ないと書いています。 ただ、続けて4つの例外を挙げています。   激す [...]

孟子の三言を師とすべし 投稿日2021年6月16日
読書の法は、当(まさ)に孟子の三言を師とすべし。 読書の方法は、孟子の三つの言葉を師とすべきである 佐藤一斎/言志録   「孟子の三言」とは次の通りです。 〇「意を以て志を逆(さか)う」‥‥ [...]

わが気に入らぬことが・・・ 投稿日2021年6月16日
わが気に入らぬことが、わがためになるものなり 鍋島直茂 直茂は肥前・龍造寺隆信の家臣で、龍造寺氏の佐嘉城が大友宗麟の大軍に囲まれた際、今山に陣する大友の本陣に夜襲をかけます。酒宴の後の寝込みを襲われ [...]

武蔵、有馬喜兵衛を破る 投稿日2021年6月15日
兵術を悟り、勇功を身に着け、歳13で播州にて新当流の有馬喜兵衛と雌雄を決し勝利を得る。   『小倉碑文』には、宮本武蔵の最初の決闘がこの様に刻まれています。 そして   16歳春に [...]

人間自ら用に適する所あり 投稿日2021年6月15日
人間自ら用に適する所あり、天下何ぞ為すべき時なからむ どんな人でも己に適した場所があり、この広い世の中でその人の活躍できる機会がないはずがない。 橋本左内/啓発録 越前藩の武士で緒方洪庵の適塾にて蘭 [...]

改めぬをよしとするなり 投稿日2021年6月15日
改めて益なしことは改めぬをよしとするなり 吉田兼好/徒然草   事が上手く行かなくなると、改革を行おうと考えるのは、政治でも会社経営でもみな同じですが、この時、一新しようと上手く行っている所 [...]

怒は敵と思え 投稿日2021年6月15日
怒は敵と思え 徳川家康   「怒は冷静さを失い、客観的な判断ができなくなる。相手のペースにはまらないように、怒は敵と思い、制することが出来なければならい。」といったところでしょうか・・・ 孫 [...]

ほめてやらねば人は動かじ 投稿日2021年6月15日
やってみせ言って聞かせてやらせみて、ほめてやらねば人は動かじ 山本五十六   この言葉は上杉鷹山の「してみせて言って聞かせてさせてみる」に言葉を加えたものといわれています。 [...]

欲も亦善悪有り 投稿日2021年6月14日
生物必ず欲有り。地(じ)、善悪を兼ぬ。故に欲も亦(また)善悪有り。 佐藤一斎/言志録   生き物には必ず欲がある。人の地(本質)も善悪両方を兼ね備える。故に人の持つ欲にも善の欲と悪の欲の両方 [...]

良くないことになぜ従うのか 投稿日2021年6月14日
古くからの風習と言えども、良くないことになぜ従うのか 垂仁天皇/日本書記   垂仁天皇の弟・倭彦命が薨去したため陵に埋葬されますが、この時に殉死の慣習で近習の者を集め陵の周りに生き埋めにしま [...]

養由もこれを超ゆる事なし 投稿日2021年6月13日
真剣を飛ばし、または木戟を投げ、逃げる者、走る者でもこれを回避することはできない。その勢いはあたかも強弩を発するかのようであり、また百発百中である。かの養由もこれを超えることはない。(現代語訳) 宮 [...]

我に七難八苦を与え給え 投稿日2021年6月13日
願わくば我に七難八苦を与え給え 山中鹿之介   中山鹿之介は毛利氏に滅ぼされた尼子氏の家臣で、尼子氏の再興に命を掛けますが支援する織田軍が兵を引いたため孤立し敗れ、毛利の軍に捕らえられ斬られ [...]

成らぬは人のなさぬなりけり 投稿日2021年6月13日
なせば成るなさねば成らぬ何事も、成らぬは人のなさぬなりけり 上杉鷹山   江戸中期に破産寸前の米沢藩を立て直した上杉鷹山の言葉で、よく知られる名言です。 この言葉は、武田信玄の「なせば成るな [...]

世々の道にそむく事なし 投稿日2021年6月13日
世々の道にそむく事なし 宮本武蔵/独行道   『独行道』は壁書文で、おそらくは武蔵の道場の壁に掛けられていたものと考えられ、現在の「社訓」のようなものだったのでしょう。この言葉は『独行道』の [...]

急ぐべからず 投稿日2021年6月13日
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず。 徳川家康   紆余曲折を経て最後に天下を獲った家康らしい言葉です。行き急ぐ人、ダラダラと生きる人、規則正しく生きる人、いろんな生き [...]

目に見ヘぬ所をさとつて知る事 投稿日2021年6月13日
目に見ヘぬ所をさとつて知る事 宮本武蔵/五輪書-地の巻-   目に見えるところだけ、耳に入るところだけを信じたがための、苦い経験。そんな経験が幾つかあって、やっとこの言葉の意味が理解できるよ [...]

人に於いては薄く責む 投稿日2021年6月13日
自ら責むること厳なる者は、人を責むることも亦(また)厳なり。人を恕すること寛なる者は、自ら恕することも亦寛なり。皆一偏たるを免れず。君子は則ち躬自ら厚うし、そして、人に於いては薄く責む 佐藤一斎/言志 [...]

論語・色を好むが如くする者を見ざるなり 投稿日2021年6月13日
子(し)曰(い)わく、己(や)んぬるかな。吾れ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。 先生が言われた「どうしようもない事だ。色を好む者は沢山いるのに、徳を大事に思う者はなかなか見当たらない。」 [...]

孫子・将に五危有り 投稿日2021年6月12日
故に将に五危有り、必死は殺され、必生は虜にされ、忿速は侮られ、潔廉は辱められ、愛民は煩わさる。   と孫子では、「死ぬのを怖がらない者」、「生き延びる事にこだわる者」、「怒り猛る者」、「清廉 [...]

構えあって構えなし 投稿日2021年6月12日
構えあって構えなし 宮本武蔵/五輪書-水の巻- 流儀ごとに太刀の構えはあるが、構えは勝負に勝つための一つの手法に過ぎない。構えにこだわり過ぎると、臨機応変の手段を選択する妨げとなる。 新選組で沖田総 [...]

仏神は尊し仏神をたのまず 投稿日2021年6月11日
仏神は尊し仏神をたのまず 宮本武蔵/独行道 仏や神は尊い、しかし仏や神に思いを叶えてくれるような願い事はしない。 人事を尽くして天命を待つという言葉がありますが、この言葉も神に頼るという意味ではなく [...]

武蔵の父・新免無二 投稿日2021年6月10日
『小倉碑文』には武蔵の父親の事が次の通り書かれています。   父親は新免無二と号し、十手の術家であった。(現代語訳)   武蔵も家を継ぎ、十手の技を磨きますが、ある日、二刀で十手の [...]

菜根譚・太だ厳なることなかれ 投稿日2021年6月10日
人の悪を攻むるには太だ厳なることなかれ 人の悪いところ注意する時は、厳しい言動で責めてはいけない。 社会のため、所属する団体のため、本人のため、いろんな理由はあるのでしょうが、相手の反発を招くような [...]

長所サエ知レバ短所ハ知ルニ及バズ 投稿日2021年6月9日
長所ニ短所ハツキテハナレヌ者ユエ、長所サエ知レバ短所ハ知ルニ及バズ。 荻生徂徠   短所を激しく責めれば、人は離れ長所をも失う可能性があると言う事でしょうか? 陳寿の書いた『三国志』でも呉の [...]

菜根譚・寵辱に驚ず 投稿日2021年6月8日
寵辱に驚ず、閑(しず)かに看(み)る庭前の花開き花落つるを。   人気を得ても、辱しめを受けても右往左往することなく、庭先に咲き、また落ちる花をひとり静かに眺めて見る様な心境が大事である。 [...]

天いまだにその人を棄てざるなり 投稿日2021年6月8日
天のその人に禍するは 天いまだにその人を棄てざるなり 天がその人に禍を下すのは、天が未だにその人を捨てていないからである 藤原藤房 藤房は後醍醐天皇に仕え、鎌倉幕府を倒すために奔走します。討幕後の「 [...]

己れを喪えば斯に人を喪う 投稿日2021年6月8日
己れを喪(うしな)えば斯(ここ)に人を喪う。人を喪えば斯に物を喪う。 自身を失えば周りの人は去って行く。人が去ってしまえば同時に多くの大切な物を失う事になる。 佐藤一斎/言志録   天狗に [...]

傲は長ず可からず 投稿日2021年6月6日
貝原益軒は五経の一つ『礼記』から「楽しみは極むべからず」という言葉を取り上げていますが、佐藤一斎も同じ文節から「傲は長ず可からず。欲は従(ほしいままに)にす可からず」という言葉を挙げています。 ただ一 [...]

孫子・兵とは詭道なり 投稿日2021年6月5日
兵とは詭道(きどう)なり 孫子の計篇には、戦いは(死ぬか生きるかの道であり)通常では考えられない様な手段が使われるものであると書かれています。   それに続けて だからこそ、能力がある者は無 [...]

韓非子・巧詐は拙誠に如かず 投稿日2021年6月3日
巧詐(こうさ)は拙誠(せっせい)に如かず 巧にごまかして上手に振る舞う生き方は、つたなくても誠実な生き方にはとても及ばない   韓非は荀子の元で儒を学び、母国・韓に戻りますが、韓で登用される [...]

平易なるを要して艱奥なるを要せず。 投稿日2021年6月1日
簡明なるを要して煩悉(はんしつ)なるを要せず。平易なるを要して艱奥(かんおう)なるを要せず。只だ須らく聴者をして大意の分暁(ぶんぎょう)するを得しむれば可なり。 簡単な事が必要で、細かく説明する事は不 [...]

情実を討ね出すを要すべし 投稿日2021年5月31日
一部の歴史は、皆形迹(けいせき)を伝うれども、而(しか)も情実は或は伝わらず。史を読む者は、須(すべか)らく形迹に就きて以て情実を討ね出すを要すべし。 一部の歴史は、みな表面の事が伝わるが、ただ実情は [...]

伝習録・人生の大病は傲の字なり 投稿日2021年5月30日
人生の大病はただこれ一の傲の字なり 人生で罹る最大の病は、ただひとつ傲慢になることである。   この言葉を残したのは、中国•明の時代に陽明学を起こした王陽明になります。王陽明が生きた時代は日 [...]

憤は進学の機関なり 投稿日2021年5月29日
憤の一字は、是れ進学の機関なり。 物事に触れ、感動し、志を立てる事。これが学を進めるため道具である。 佐藤一斎/言志録   目的を達成するためには、志を立てる事が重要あり。その志を立てるには [...]

史記・天道是か非か 投稿日2021年5月28日
天道是か非か -天の道は正しいのか、それとも間違っているのか- これは史記に書かれた一節です。   子供の頃、ドラマですごい性悪の人がいて、勧善懲悪の世界で、その性悪の人がやっつけられて爽快 [...]

通俗偏・用いては疑うなかれ 投稿日2021年5月27日
疑わば用うるなかれ、用いては疑うなかれ (疑うのであればその人を登用してはいけない。登用したのであれば信じてまかせる事だ。) これは清の時代に書かれた『通俗偏』にある言葉です。   『海舟座 [...]

信を人に取ること難し 投稿日2021年5月25日
信を人に取ること難し。人は口を信ぜずして躬(み)を信じ、躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。 人から信頼を得るは難しい事である。他人はその人の発言よりも、行動や振る舞いを信じる。そして、行動や振る舞 [...]

『海舟座談』の疑問解消!! 投稿日2021年5月23日
『海舟座談』の著者・巌本善治氏が海舟宅に出入りしたのは、明治20年8月から、海舟に最後に面談した明治32年1月14日までの約11年を超える期間になります。しかし、『海舟座談』には明治28年7月~明治3 [...]

菜根譚・欹器は満を以って覆る 投稿日2021年5月23日
『欹器(いき)』とは水を入れる器の事で、水が満杯になると自然と覆って水を吐き出し、また水が溜まりだすと垂直に立ち安定し、水が満杯になると覆って水を吐き出すと言った動きを繰り返す装置のようです。菜根譚に [...]

勝海舟の不党のすゝめ 投稿日2021年5月18日
勝海舟は多数の弟子や学びを請う若者が多かったにも関わらず、党を作って時世を動かそうという行動をとっていません。 この事について『氷川清話』にはこのような海舟の言葉が載せられています。   人 [...]

免れんと欲するは不可なり 投稿日2021年5月18日
おおよそ、身に降りかかってくる艱難変故、屈辱讒謗、払逆は、みな天がわが才を成長させるために課すもので、砥礪切磋の実践である。志を高く持つ者は、これに対応する方法を熟慮すべきである。なにも考えずにこれら [...]

独立自信を貴ぶ 投稿日2021年5月16日
士は独立自信を貴ぶ。熱に依り、炎に附くの念を起こすべからず。 佐藤一斎/言志録   志の高い人は、自分の考えを持って行動する事を貴ぶものである。勢いのあるものに寄り従うような気を起こしてはい [...]

妄動することを得ざれ 投稿日2021年5月16日
処し難き事に遭わば、妄動することを得ざれ。須らく機の至るを候いて之に応ずべし。 佐藤一斎/言志録   対処が難しい問題が発生した場合、妄りに動いてはいけない。熟慮の上、よく機会を窺って対処す [...]

着眼高ければ 投稿日2021年5月16日
着眼高ければ、則ち理を見て岐せず。 高い目線で物事を望めば、道理がよく見えて迷うことがない。 佐藤一斎/言志録 [...]

他の学者の言葉を追加中 投稿日2021年5月16日
『貝原益軒-記想録-』から『記想録』とページ名を変更し他の学者の言葉を追加中です。 勝海舟の『海舟座談』、『氷川清話』及び佐藤一斎の『言志録』を順次、記載して行きます。 [...]

立志は本心の好む所に従うのみ 投稿日2021年5月14日
学は立志より要なるは莫(な)し。而(そ)して立志も亦(また)之れを強うるに非らず。只だ本心の好む所に従うのみ。 学問を始めるには志を立てる事が大事である。そして人が強いてはいけない。志を立てるのは本人 [...]

凡そ人を諫めんと欲するには 投稿日2021年5月11日
凡(おおよ)そ人を諫めんと欲するには、唯だ一団の誠意、言に溢るる有るのみ。苟(いやし)くも一忿疾の心を挟まば、諫は決して入らじ。 佐藤一斎/言志録   人を諫めようとする場合は、誠意の心ある [...]

勝先生、容易に胸襟を開かず 投稿日2021年5月6日
先生に従って教を請わんと欲せば、真に先生によりて学ぶの決心なかるべからず。しからずんば、先生は容易にその胸襟(きょうきん)を開かず。ただ放言(ほうげん・無責任に言い散らす事)大語(たいご・大げさなに言 [...]

臣下百姓の罰おそるべし 投稿日2021年5月5日
『黒田家譜 巻之十五 如水遺事』に次の通り孝高の遺訓が載せられています。 如水の曰、神の罰より主君の罰おそるべし。主君の罰より臣下百姓の罰おそるべし。其故は、神の罰は祈てまぬかるべし。主君の罰はわび言 [...]

一国一城令 投稿日2021年5月4日
大阪の陣が終わると、幕府は「一国一城令」を発します。『黒田家譜』にはこの奉書の内容が残されています。   急度申入候。仍貴殿御分國中居城をば被殘置、其外の城悉可有破却の由上意に候。右 [...]

忠之、大阪の陣へ参陣す 投稿日2021年5月2日
1614年(慶長19年)、大阪の陣が起こります。家康は兵を大阪へ発向しますが、黒田長政、福島正則、加藤嘉明は江戸に残る事を命ぜられ、豊臣恩顧の武将の参陣は許されませんでした。これは、大阪方に寝返る武将 [...]

海舟と龍馬 投稿日2021年4月18日
1864年(元治元年)、海舟は四カ国艦隊の下関攻撃を思いとどまらせる交渉のため長崎に出張します。この時、供についたのが坂本龍馬と高木三郎になります。一行は筑後町(現在のJR長崎駅の東側)の福済寺に入り [...]

勝の二宮尊徳評 投稿日2021年4月17日
勝海舟は若き頃、二宮尊徳に一度だけ面会した事があるようで「至って正直な人」という印象を持ったようです。また、人にも会いに行くように勧めたと語っています。   二宮尊徳は神奈川県小田原市栢山( [...]

芥舟の海舟評 投稿日2021年4月5日
古今の英傑は、時には策略を用います。最近で言えば、運動とかいう事で、極めて秘密に策を巡らし、あるいは利をもって誘い、反対の人を味方に引き入れるような小細工をする事がございます。この様な小細工は一時的に [...]

明六社メンバーがドン引き 投稿日2021年4月4日
杉亨二(日本近代統計の祖であり、元勝海舟塾塾頭)は明六社の主要メンバー等と海舟を招待しようと打合せ、上野・精養軒に集います。杉、福沢諭吉、森有礼の他、数名のメンバーがホントに勝が来るのだろうかと話して [...]

パークスは悪い奴じゃない 投稿日2021年3月27日
勝塾の塾頭・杉亨二がパークスの傲慢さを述べると、勝はそれを否定します。   「横浜のパークスを訪ねると、こっちは敗北同然だから、軽蔑しての事か、会おうとしない。そこで事情を説明して面会を促す [...]

県指定史跡 宮崎安貞書斎 投稿日2021年3月20日
宮崎安貞は、元和9年(1623年)芸州広島で生まれ、25歳の時、福岡藩主黒田忠之につかえました。まもなくその職をやめ、九州・山陽・近畿の諸国をめぐり、草木や作物の植え付けなど農事の研究を積み重ねました [...]

不足不平は一概にわるくないヨ 投稿日2021年3月13日
海舟は「定見深睡」とゆう西洋の言葉をとり挙げて、定見に固執することを戒めています。   今日の是は、明日の非、明日の非は明後日の是といふ風に、一時も休まず進歩すべきものだ。   そ [...]

衛生の道ちありて長生の薬なし 投稿日2021年3月11日
丘処機が、衛生の道ちありて長生の薬なし、といえるは、養生の道はあれど、うまれ付かざるいのちを、長くする薬はなし。只うまれ付きたる天年をたもつ道なり。 (養生の道はあるが、生まれついての命を伸ばす薬はな [...]

公私相半ばすれば 投稿日2021年3月4日
人は、公私相半ばすれば、大変なものだ。釈迦や、基督のような人は公ばかりだろうが、そのほかの人は、なかなか公ばかりということは出来ぬ。公私相半ばすれば、よほどの人だ。これをこうゆう都合にといってすれば、 [...]

海舟は性善説?性悪説? 投稿日2021年3月2日
『新訂海舟座談』で海舟は性善説、性悪説に言及しています。   孟子は、性善といい、荀子は性悪といったが、性善でもなく、性悪でもないようだが、先ず、どッちかと言うと、悪い方が多いようだ。 &n [...]

その身を世間の風浪に投ず 投稿日2021年2月23日
天下は、大活物だ。区々たる没学問や、小智識では、とても治めて行くことは出来ない。世間の風霜に打たれ、人生の酸味を嘗め、世態の妙を穿ち、人情の微を究めて、しかる後、共に経世の要務を断ずることが出来るのだ [...]

秀吉の九州仕置き 投稿日2021年2月17日
秀吉は島津を降すと筑前に戻り、九州の仕置きを行います。   小早川隆景  筑前国、肥前の基諱郡(三養基郡)、養父郡(鳥栖市)、筑後の三潴郡(久留米西部)、三原郡(小郡市、現在の三井郡) [...]

『氷川清話』と『海舟座談』 投稿日2021年2月11日
『氷川清話』(講談社学術文庫)は吉本襄(のぼる)が海舟に関する記事を収集し編集した『海舟先生氷川清話』を検証再編集した談話集。 『新訂海舟座談』(岩波文庫)は海舟宅に出入りしていた巌本善治が海舟から直 [...]

海舟の手切れ指南 投稿日2021年1月25日
維新の頃の話です。とあるお役人が海舟先生を訪ねた際、雑談ついでに「愛人が飲み代を立て替えてくれるのです」とのろけます。   それからしばらくして、そのお役人が再び先生の元を訪れ、別れ話で先の [...]

決して捨つべきものではない 投稿日2021年1月24日
山岡鉄舟は「人にはすべて能不能あり 一概に人を棄てあるいは笑うべからず」という言葉を残していますが、鉄舟にとって絶対に捨てられなかった人物とは、おそらく薩摩の益満休之助の事だと思われます。   [...]

理屈ではわからない 投稿日2021年1月23日
およそ世間の事には、順潮と逆潮とがある。したがって気合も、人にかかって来る時と、自分にかかって来る時とがある。気合が人にかかったと見たら、すらりと横にかわすのだ。もし自分にかかって来たら、油断なくずん [...]

後藤又兵衛の馬取り逐電す 投稿日2021年1月23日
戦国最期の戦い・大阪の陣で華々しく散った後藤又兵衛は、若き頃、秀吉の島津攻めに孝高の部下として従います。そして日向、耳川付近での一騎討。馬上の組合で川に落ち、上になり下になりの取っ組み合いとなりますが [...]

自由自在気随気儘だよ 投稿日2021年1月20日
およそ天下に乾児(こぶん)のないものは、恐らくこの勝安芳一人だらうよ。それだから、おれは、起きようが寝ようが、喋らうが、黙らうが、自由自在気随気儘だよ。 海舟は氷川清話(講談社学術文庫)でこのように [...]

肥後国衆一揆 投稿日2021年1月17日
1587年5月、秀吉は島津を降伏させ、6月には筑前に戻り九州仕置きを行い、7月初旬には九州を去ります。しかしその直後に佐々成政に与えた肥後で国衆一揆が起こります。 これは島津を離れ秀吉に従う際に領地の [...]

海舟が恐れたもう一人の男 投稿日2021年1月17日
勝海舟は横井小楠と西郷隆盛を恐ろしい人物として挙げていますが、別の意味で恐れたもう一人の男として河上彦斎を挙げています。 河上彦斎は幕末の人斬りで知られる人物で、幕末から維新にかけて結構な人を斬った [...]

断定するのは好まない 投稿日2021年1月12日
主義といひ、道といつて、必ずこれのみと断定するのは、おれは昔から好まない。 単に道といつても、道には大小薄濃淡の差がある。 しかるにその一を揚げて他を排斥するのは、おれの取らないところだ。 人が来て囂 [...]

島津義久降伏す 投稿日2021年1月10日
秀吉は鹿児島の40㎞ほど北西の泰平寺に入り、先陣の16万の兵は既に鹿児島に迫ります。これに島津義久は降伏を決断し伊集院左衛門(忠棟?)を孝高の元へ使者として送ります。この報は秀長を通して秀吉に伝えられ [...]

村重、孝高を禁獄す 投稿日2020年12月31日
孝高は毛利に寝返った小寺政職を再び説得するため御着城へ向かいます。御着では孝高が姫路城に立て籠もるものと予想していましたが、少数の供を連れて来城した孝高に安心します。また姫路の城では能の催しが開かれて [...]

摂津播磨離反す 投稿日2020年12月30日
そなたと我等の間柄は他の者たちより誹りを受けるべきものではない。また何事もそなたに任せても、他の者がどうこうの言うべきことでもない。しかし既にその様な陰口もあるようだ。我等を憎むものはそなたまで憎むこ [...]

備中高松城の水攻め 投稿日2020年12月27日
三木の干殺し、鳥取の渇え殺しと言われる兵糧攻めで三木城、鳥取城を落とした秀吉は次に備中高松城を攻めるため高松の東、蛙が鼻という地に陣を取ります。 高松城は城下町から北側に少し離れた田園地帯の中に建つ城 [...]

孝高の説得術 投稿日2020年12月22日
島津氏は肥後、肥前、筑後と各地の国衆を従わせ北上し、大友氏を追い詰めます。また筑前各地の国衆は大友氏と対立していたため、島津氏の北上を歓迎します。秀吉は島津氏征伐のため大軍を九州に上陸させるものの、九 [...]

原田氏の先祖の事 投稿日2020年12月20日
戦国時代には筑前の西部一帯を支配した原田氏ですが、『黒田家譜』にはその先祖ことが書かれています。   原田の先祖は、後漢の霊帝の孫、阿智王、始て日本に来り、播州大蔵谷に着岸す。其中に、日本に [...]

長宗我部信親の最期 投稿日2020年12月19日
仙石秀久と長宗我部元親は島津氏に攻められる大友氏救援のため四国から豊後へ渡り「上の原」に陣を敷きます。 そこに大友の支城を島津の大軍が囲んだと知らせが入ります。仙石秀久は支城の救援を急ごうとしますが、 [...]

秀吉薩摩に使者を遣わす 投稿日2020年12月16日
秀吉は九州制覇を目指す薩摩の島津義久へ自重を勧めるため、浅野長政および木村重茲を使者として送ります。   使者の口上には、合戦やめて上洛すべき由、被仰遣ける。島津是を聞て、あざわらつていわく [...]

事は密を以って成る? 投稿日2020年12月9日
事は密なるを以って成り、語は泄るるを以って敗る これは韓非子の言葉だったと思いますが、『黒田家譜』にはこの言葉を彷彿とさせるちょっとゾッとする話が書かれています。   「京都にありし信長の臣 [...]

本能寺の報、毛利に届く 投稿日2020年12月8日
秀吉の陣に本能寺の報が届いたのは1582年6月4日未明になります。孝高は早朝に毛利に使者を遣わし「約束の人質の早急の差出し」を促しますが、毛利側は「準備中」と履行を引き延ばしにしていたところへ、金井坊 [...]

岩屋城の戦い 投稿日2020年12月6日
『黒田家譜』では「岩屋城の戦い」について簡単に触れています。 (島津義久は)薩摩より大勢を出し、肥前、筑後の兵会わせ、筑前秋月の城主、秋月種実を催し合せ、筑前国太宰府の北なる岩屋の城を攻略す。城主高 [...]

戦国九州の情勢 投稿日2020年12月6日
貝原益軒は『黒田家譜』に1586年頃の九州の情勢を次の通り記述しています。   この頃は乱世にして天下いまだ一統せず。国々処々の城主主君なくして、面々に領地をもつ。 一国に地頭七、八人、或い [...]

囲師必闕 投稿日2020年11月26日
1577年11月、秀吉の軍は福原主膳の守る佐用城を攻めます。孝高は夜間に佐用城の三方を囲み、あと一方を空けて攻撃します。城では激しい戦いとなりますが、最終的に城は落ち福原主膳は囲みのない西の裏山へ脱出 [...]

秀吉の手紙 投稿日2020年11月25日
黒田藩には秀吉が孝高に送った手紙が残っていた様で貝原益軒の書いた『黒田家譜』にはその手紙の内容が多く転載されています。 そして益軒はその後に次のように書いています。   秀吉公初卑賎にして、 [...]

孝高、信長面会 投稿日2020年11月24日
福岡市博物館には『へし切長谷部』という名刀が収蔵されています。 この刀は織田信長が黒田孝高に賜ったものだとされています。   時は1575年。孝高は「毛利に付くか織田に付くか」で揺れる主家・ [...]

毛利と宇喜多の旗 投稿日2020年11月23日
孝高は毛利と和睦し備中高松城の包囲を解いて京都に引き返す際に、毛利の将・小早川隆景に毛利家の軍旗を2本無心しています。 隆景は不審に思い「旗ばかりお貸ししても大した足しにもなりますまい。毛利家の兵はこ [...]

松壽丸危うし 投稿日2020年11月22日
孝高は信長に面会した翌々年(1577)の秋に、再び安土の信長の元を訪れます。そして同道した嫡男・松壽丸(長政)を人質として差し出します。信長はこれを長浜の秀吉へ預けます。 ところがその翌年、摂津有岡城 [...]

異説 賤ヶ岳の七本槍 投稿日2020年11月4日
益軒は『黒田家譜』で賤ヶ岳の七本槍の事を次のように記述しています。   福島一松先駆して首をとり、秀吉の御目にかける。その外秀吉の勇士、加藤虎之助、加藤孫六、平野権平、脇坂甚内、粕屋助左衛門 [...]

赤松則房の事 投稿日2020年11月1日
赤松則房は、足利尊氏が九州落ちした際に播磨で後醍醐天皇方の勢力を防ぎ、尊氏を京に復帰させることに大きく貢献した赤松円心の家系になります。赤松氏は播磨の守護として代々続きますが、戦国時代には配下の台頭も [...]

勝龍寺城攻め 投稿日2020年10月14日
山崎の戦いに敗れた明智軍は勝龍寺城に籠ります。大軍となった秀吉の軍は四方から城に攻めかけますが、この状況に孝高は秀吉に提案します。 「明智一命を捨て防がんと存じ候も、つき従う士卒は皆、大軍に囲まれ、 [...]

本能寺の変を報せた男 投稿日2020年10月11日
本能寺の変は1582年6月2日の午前4時頃、明智光秀の軍が本能寺を取り囲んで始まります。 この事変の報を受けた信長の臣・長谷川宗仁は書状を配下の者に託し、備中に出張中の秀吉への飛脚を命じます。 この飛 [...]

休松の戦い 投稿日2020年7月29日
織田信長が斎藤氏の稲葉山城を攻略し天下布武の印を使い出した頃、筑前では毛利氏の援助を受けた秋月氏が大友氏に対し抵抗の狼煙を挙げます。これに大友宗麟は2万の軍を派遣し秋月氏の本拠地・古処山城を攻めますが [...]

黒田家譜 孝高 投稿日2020年7月27日
黒田官兵衛孝高は雪の積った日に生まれます。 貝原益軒は黒田家譜で次の通り描写しています。 「母は明石氏、天文十五年・・・孝高播州姫路に生(うめ)り。この時雪降りてその家おおう」 益軒は続けて 「天性 [...]

勝海舟の先哲の書を見る詞 投稿日2020年7月25日
勝海舟は「先哲の書を見る詞」という書を書いています。   前略・・・ 傑出の輩少なからず。あるいは経綸の才識を具備せし者、あるいは高踏超凡なる者、あるいは往昔の古調を修むる者、あるいはイン [...]

勝海舟の最期 投稿日2020年5月17日
大寒に入るの前一日、天気晴朗なり。この日、海舟先生、意気殊(こと)に爽然として、諧謔百出す。午前、入って浴して後、微(すこ)しく異常あり。少(しば)らくして、胸頭激痛を起こし、悪汗流れ発す。命じてこれ [...]

ドメイン変更しました 投稿日2020年4月21日
経費削減のためドメインの変更を行いました。変更内容は以下の通りです。ek.fukuokashiden.net → ek.2810w.com [...]

政治談義は二の次? 投稿日2019年12月15日
天下の事我が力になし難きことは唯天に任せおくべし その心を苦しむは愚なり 貝原益軒   尊王攘夷の志士たちはどう捉えたか分かりませんが、政治談義は居酒屋で済ませ、翌日には己の本職に精を出 [...]

龍宮寺の由来 投稿日2019年11月5日
筑前国続風土記 巻之四 で龍宮寺の由来が寺家の言い伝えとして次のように紹介されています。 1222年4月14日(承久の乱の翌年)に博多で人魚が捕らえられます。この事が朝廷に上奏されると冷泉なにがしとい [...]

塔原の由来 投稿日2019年10月8日
筑紫野市塔原東には、むかし十王堂がありその境内に立っていた塔の礎石が今も残っています。 貝原益軒は「筑前国続風土記」の中で 「むかし此所(ここ)に塔あり、遠くより能(よく)見ゆ。此(この)塔ある故に [...]

楽しみを失なうべからず。 投稿日2019年10月6日
益軒は「養生訓」に次の通り書いています。 楽しまずして天地の道理にそむくべからず。 つねに道を以て欲を制して楽しみを失なうべからず。 楽しみを求めることは人として当たり前のことで、否定するこ [...]

冷静に柔軟な判断をするには 投稿日2019年9月23日
勝海舟は「氷川清話(講談社学術文庫)」でどんな時でも、どんな場面でも冷静な判断を行うための要点を次の通り語っています。 人は何事によらず、胸の中から忘れ切るということが出来ないで、始終それが気にかか [...]

無神経のすゝめ 投稿日2019年9月11日
無神経ほど強いものはない・・・(中略) 無闇に神経を使って、矢鱈に世間の事を苦に病み、朝から晩まで頼みもしないことに奔走して、それがために頭が禿げ鬚が白くなって・・・(中略) おれなどはとても(そうは [...]

外交の極意は誠心誠意 投稿日2019年9月5日
「外交の極意は、誠心誠意にあるのだ。胡麻化しなどをやりかけると、かえって向こうから、こちらの弱点を見抜かれるものだヨ。」 と「氷川清話」で勝海舟は語っています。そして 「日米修好通商条約を結ぶ際は [...]

子供を教育するには・・・ 投稿日2019年8月31日
「子供を教育するには、よほど気を付けんといかん。 あまり学問々々といって居ると、口ばかり達者になってじきに親爺をやりこめるようになるよ。 (中略) しかしそういう息子のある家の庫(くら)には遠からず蜘 [...]

めし食う時ぐらいは・・・ 投稿日2019年8月20日
怒の後、早く食すべからず。食後、怒るべからず。 憂ひて食すべからず。食して憂ふべからず。 頻繁に怒ってる人やいつも悩んでいる人に贈る言葉でしょうか。 健康のため、ご飯食べる時ぐらいは嫌なことを忘れま [...]

心は身の主也 投稿日2019年8月20日
心は身の主也、しずかにして安からしむべし。 身は心のやつこなり、うごかして労せしむべし。               養生訓 巻第一 [...]

海舟の虚心坦懐 投稿日2019年7月27日
「勝敗を急ぐと、頭に血が上り、鼓動も早くなる。そうなると対応が裏目に出て、逆に進退を危うくすることから逃れられなくなる。もし逃れられたとしても防御に立とうとする気が起こり、相手に乗じられてしまうものだ [...]

必ず何か一得はあるものだ。 投稿日2019年5月27日
人はどんなものでも決して捨つべきものではない。いかに役に立たぬといつても、必ず何か一得はあるものだ。おれはこれまで何十年間の経験によつて、この事のいよいよ間違ひないのを悟ったヨ。 勝海舟談話集「氷川 [...]

皆美を好むべからず 投稿日2019年4月20日
すべての事に完璧を求めると、心のわずらいとなり余裕がなくなってしまう。 人に完璧を求めて、人の足らないところを怒ったり咎めれたりすれば、心のわずらいとなる。 また日用の飲食、衣服、器物、家居、草木など [...]

窮屈逼塞は天地の常道ではないヨ。 投稿日2019年4月2日
海舟は「氷川清話」に方針を固持してはいけないと書いています。 我に四角な箱を造って置いて、この箱に丸い物や三角の物を詰め込むのはご苦労千万な事だ。 執一の定見をもって天下を律せんとするのは、決して王道 [...]

「氷川清話」は幕末史の原典? 投稿日2019年3月17日
「氷川清話(講談社学術文庫)」を読み始めてすぐは、自分の幕末における知識が間違っていなかったことに安心していたのですが、読み進めるうちに今までに小説やテレビの歴史情報番組から得た自分の幕末史の知識の半 [...]

勝海舟の黒田長溥・評 投稿日2019年3月10日
勝海舟は福岡藩第11代藩主・黒田長溥について氷川清話(講談社学術文庫)で次の通り語っています。 「幕府時代の大諸侯にして、最も早く外国の事に注意したるは黒田長溥公であつた。」 黒田長溥の蘭癖は流行 [...]

寝転んで待つのが第一サ。 投稿日2019年2月24日
最近、勝海舟の談話集「氷川清話」(講談社学術文庫)を読んでいるのですが、その中で海舟は悪い立場に陥った際の対処方法を次のとおり語っています。   「上がった相場も下がるときがあるし、下がっ [...]

野上一閑と三奈木弥平次 投稿日2019年2月3日
大友氏が島津氏に大敗を喫した耳川の戦いから3年、筑後平野では秋月氏や龍造寺氏が弱体化する大友配下の諸城に攻めかかります。これに大友宗麟は救援の軍を送りますが、この兵の中に野上入道一閑という豪傑がおりま [...]

昔は瓢箪で鵜飼? 投稿日2018年12月16日
江戸時代の初期頃までの筑後川の鵜飼漁は船は使わず泳いで漁を行っていたようです。 「江戸時代の初期頃までは漁師は大きな瓢箪を背につけてよりかかり、水にうかんで、右の手にススキの松明を持ち、左の手で2~ [...]

人を謗らずは難しい? 投稿日2018年11月18日
貝原益軒の 大和俗訓 巻之五 言語 には次の通り書かれています。 「人をそしるは、其の人に対せず、かげにてひそかに言ふことなれば、其人知るべからず、何の害かあらんと思ふは愚かなり。そしりは必もれやす [...]

福岡の一夜城・益富城 投稿日2018年11月4日
島津氏の九州制覇を阻止すべく1587年、豊臣秀吉は二十数万の軍を九州に上陸させ、自らも九州に乗込み小倉から行橋をまわって筑豊に入り、島津方の秋月種実の城を攻略します。秀吉軍の勢いに形勢不利とみた種実は [...]

俗明院の由来 投稿日2018年10月14日
西鉄朝倉街道駅の南に俗明院という土地がありますが、貝原益軒は「筑前国続風土記」にその由来を次の通り記しています。 「太宰府の西南にある村の名なり。むかし九國二島より太宰府に来りし民、若くは久しく逗留 [...]

ういろうブランドの透頂香!? 投稿日2018年10月8日
「陳員外郎という者が1369年、元代末の乱をさけ博多に移住し、その後上京して将軍義満に種々の薬を献上した。義満はとりわけ透頂香(とうちんこう)を気に入り陳員外郎に京都西洞院に邸宅を賜ったが、その子孫が [...]

筑紫とは? 投稿日2018年9月12日
益軒は筑前国続風土記の冒頭で、筑紫について言及しています。 「此國を筑紫と名付し事、古は筑前筑後一国にして、是を筑紫といへり。故に日本紀等の古書に、筑紫といへるは、多くは筑前筑後をさせり。又九國をすべ [...]

酒は衰微、花は半開。 投稿日2018年5月20日
「万(よろず)の事十分に満て、其(その)上にくは(加)へがたきは、うれいの本なり。古人の曰く、酒は微酔にのみ、花は半開に見る。」 (全ての事において、十分に満ち足りて、その上に加えることができない様な [...]

禍と福について 投稿日2018年5月16日
「命の長短は身の強弱によらず、慎と慎しまざるによれり。白楽天が語に、福と禍とは、慎と慎しまざるにあり、といえるが如し。」と養生訓で益軒は語っています。 (寿命は身体の強弱ではなく慎むか慎まないかで決ま [...]

大きく疑えばすなわち大きく進むべし 投稿日2018年5月13日
益軒の哲学書「大疑録」には「大きく疑えばすなわち大きく進むべし。小さく疑えばすなわち小さく進むべし。疑わざれば進まず。」という朱子の言葉が載せられています。 これは「学門は覚えるだけではなく、疑問を持 [...]

養生の至れる法あり 投稿日2018年5月10日
益軒は「古人の教えに養生の至れる法あり」と養生訓で三人の言葉を挙げています。 孟子 「寡欲」(欲を寡[すく]なく) 王昭素 「身を養う事は欲を寡するにしくはなし」 [...]

衣食足りて栄辱を知る 投稿日2018年5月8日
養生訓の一節。 「一日も楽しまずして、はかなく、年月を過ぬるは、愚なりと云うべし。」 なるほど~生まれて来たからには、人生、楽しく生きるべきなのだ。 「たとえ家が貧しくて、幸なくして、飢えて死ぬとも、 [...]

あなどるべからず。迷うべからず。 投稿日2018年5月1日
養生訓巻第五には次のとおり書かかれてます。 「日月、星辰、北極、神廟に向って、大小便すべからず。又、日月のてらす地に小便すべからず。凡(おおよそ)天神、地祇(土地の神)、人鬼おそるべし。あなどるべから [...]

楽しみは極むべからず 投稿日2018年4月22日
五経の中の「礼記(らいき)」には「楽しみは極むべからず」とあります。 物事は極めてしまえば面白みが薄れるという言葉で、転じて「何事もほどほどに止め、やり過ぎはよろしからず」といった戒めの言葉なのかもし [...]

言に匪ずんば言うなかれ 投稿日2018年4月22日
「言に匪(あら)ずんば言うなかれ 由に匪ずんば語るなかれ」 これは高校の漢文または倫理社会で学んだ儒教の基礎となる書物・四書五経のひとつ「詩経」に書かれている言葉です。 「言わなくてよい事は発言しては [...]

不偏不党 投稿日2018年4月19日
益軒は「養生訓」巻第二の末項に次の通り書いています。 「後人、その偏見に従いて組するは何ぞや。凡(おおよそ)職見なければその才弁ある説に迷いて、偏執に泥(なず)む。」 (後世の人は、その偏見に簡単に [...]

「益軒座右」のページを作成しました 投稿日2018年4月15日
中国古典は四千年の歴史の中で脈々と編み上げられただけあって非常に面白く、生きていく上でためになる多くの話や言葉に接することができます。益軒先生の言葉もこの中国古典から影響を受けたものが多く見受けられま [...]

人参が嫌いな子は読むべからず 投稿日2017年8月28日
益軒は養生訓・巻第三の末にこう書いています。 「心口にかなわざる物、食うべからず」 講談社学術文庫「養生訓」の訳者・伊藤友信氏は「心口にかなわざる物」を「口に合わず気に入らないもの」と訳しています [...]

宝石で雀を撃つが如し 投稿日2017年8月5日
益軒は「養生訓」で次の通り語っています。 「宝石を礫(つぶて・石ころ)として雀を撃たば、愚なりとて、人必ず笑はん。・・・中略・・・かろき小なる欲を貪りて身を損なうは、軽重を知らずというべし。」 これは [...]

九州にも千歳川? 投稿日2017年7月30日
千歳川は筑前筑後の間にあり、川を以て境とする。上座、下座(筑前国、現・朝倉市)の漁師は昔よりこの川にて鵜船を下して鵜を使い。各所に網を打って魚を獲る。地元の農民は堰を築き、水を引いて田地に注ぐ。これ [...]

徐福伝説は福岡にも? 投稿日2017年3月31日
徐福は秦の始皇帝より「延年益寿」の薬を探すように命を受け、若い男女3000人と五穀の種、工匠たちを引きつれ出航し蓬萊山へ向かうが、その後、徐福は広い土地を得て王となり始皇帝の元に戻ってくる事はなかった [...]

咎むべからず。憂うべからず。 投稿日2017年1月26日
貝原益軒は著書「養生訓」に次のような事を記述しています。 「世の中の人の行動が、自分の意にそわなくても、『人とはそんなものだ』と考えて、人の悪いところは、なだめ、許して、咎めてはいけない。そして怒っ [...]

酒食を過すは腹中を戦場となすが如し 投稿日2016年12月31日
胃腸を酷使する時期も山場を迎え、正月明けには胃腸薬のお世話になる人も多いのかもしれません。 ところで、貝原益軒の「養生訓」には過酒食について次の通り書かれています。 「酒食を過ぎると、強い薬を用いな [...]

養生訓「怒」と「欲」について 投稿日2016年12月25日
貝原益軒は著書「養生訓」で怒りと欲について次のような事を語っています。 「怒と欲との二つ、最も徳を破り生を失う。怒りを懲らし、欲を塞ぐは易の戒めなり。怒りは火が燃ゆるが如し。人の心を乱し、元気を損な [...]

鷲ケ岳城の攻防(1579年) 投稿日2016年10月31日
1578年11月「耳川の戦い」で大敗を喫すると大友氏の筑前筑後の支配は大きく揺らぎ始め、秋月種実と筑紫広門は大友氏に対する敵対心を顕にします。 その翌年の10月、広門は龍造寺氏の将、大田兵衛(おおたひ [...]

酔っぱらいは芸術家? 投稿日2016年8月2日
またまた飲酒の話になりますが、貝原益軒は「養生訓」に多飲の戒めとして次の通り記しています。 「生来謹厳な人も多く飲めば、欲深くなってみぐるしく、平常心を失い乱れてしまう。言行ともども狂ったようで、日 [...]

酒は天の美禄なり 投稿日2016年7月2日
貝原益軒は養生訓で「飲酒」について次のように語っています。 「酒は天の美禄である。少量の飲酒であれば陽気になり血行も良くなり、食欲も出て、愁いを忘れ、やる気が起こり、たいへん利益がある。ただし多量に [...]

ただいま禁煙中・・・ 投稿日2016年6月19日
禁煙するのは簡単ですが、タバコを止めるのは難しい・・・。 禁煙すること数十回、最高2年間やめましたが、ストレスでここ1年間喫煙中でした。 ところで江戸時代の儒学者・貝原益軒はタバコについて名著・養生訓 [...]

おしどり伝説 投稿日2015年10月8日
-三原貞吉の話- 貝原益軒は「筑前國続風土記」に次のような話を載せています。 戦国の頃、筑後三原郡に三原貞吉(みはらさだよし)という武将がいました。大友氏の配下で、ある日に所用で主家の豊後へ出か [...]

益軒は損軒だった! 投稿日2015年5月9日
-益軒先生の号について- 益軒先生は若き頃に藩主・黒田忠之より怒りを買い、浪人生活を送ります。 数年後に許され帰藩しそれから44年間、黒田藩に仕え「黒田家譜」を著し、また藩内の教育や施政に携わりますが [...]

学校院跡 投稿日2014年7月19日
「筑前国続風土記」では、「学業院(学校院)は吉備真備(きびまきび)が建てたと伝えられているが、おそらく真備が天平6年(734)、大宰大弐に任じられた時の事ではないか」と推測しています。 また神護景雲3 [...]

針目城落城の原因 投稿日2014年7月6日
大友宗麟が「耳川の戦い」で島津軍に大敗すると筑前東南部では秋月種実が宗麟に対し叛旗を翻します。 種実は大友勢の抑止のため筑前と豊後との境界地帯の穂坂(原鶴温泉の東方)に針目城を築き、初山九兵衛という人 [...]

日吉神社(太宰府市観世音寺) 投稿日2014年6月22日
【日吉神社】 観世音寺の鎮守であり、地元ではヒヨシ神社と呼ばれる。 比叡山の日吉(ひえ)大社を分霊したもので、平安時代末には置かれていたらしい。 江戸時代の地誌によると”豊臣秀吉が九州下向の折 [...]

筑前にも超能力者がいた? 投稿日2014年3月2日
-筑前に存在した幻術師・火亂- 「三国志演義」には于吉(うきつ)、華佗(かだ)、左慈(さじ)などの特殊な能力を持った人物が登場しますが、日本の戦国時代にも果心居士(かしんこじ)という不思議な能力を持 [...]

「濡れ衣」の語源は? 投稿日2013年8月18日
「藤原広嗣の乱」の前後の事だと思われますが、都より佐野近世(さのちかよ)という人が奥方と娘を伴い筑前の守として赴任して来ます。それからしばらくして奥方は亡くなり近世は地元の女性と再婚します。ところがこ [...]

万葉歌の意外な解釈 投稿日2013年8月4日
-御笠の森に関する逸話- 思はぬをおもふといはば大野なる美笠の森の神ししるらん この歌は奈良時代に大宰大監(筑紫の警察長官)であった大伴百代(おおともももよ)の詠んだ万葉歌で、一般的に次のような解 [...]

「朝倉橘広庭宮」はどこ? 投稿日2011年9月3日
-斉明天皇崩御の地- 「橘廣庭宮之蹟」の碑 中大兄皇子の母、斉明天皇は百済救援のため661年3月九州に入り「磐瀬行宮(いわせのかりみや)」(福岡市南区三宅)に滞在します。 5月には「朝倉橘広庭宮(あ [...]