吾(わ)れ書を読むに方(あた)り、一たび古昔聖賢(こせきせいけん)、豪傑の体魄(たいはく)皆死せるを想えば、則ち頭を俯して感愴す。一たび聖賢・豪傑の精神、尚お存するを想えば、則ち眼(まなこ)を開きて憤興(ふんこう)す。
書を読むにあたり、聖賢、豪傑の肉体も魂も既に死に絶えてしまったことを想うと、うなだれて寂しく悲しい思いになる。しかし、聖賢、豪傑の精神は未だに存在することを想えば、気持ちが奮い立って来る。
佐藤一斎/言志録
幕臣・勝海舟は一斎のこの記述を知ってか知らずか「我が特に賞賚する数輩、今にしてその人見るべからずといえども、その手沢の存する者をもって、幽鬱無聊の時において、展覧、古人の境遇いかんを追懐すれば、不言の中、胸懐の快然たるを覚ゆるなり」という言葉を残しています。
聖賢・・・聖人や賢人
体魄・・・体と魂
感愴・・・悲しく思う
憤興・・・奮い立つこと
手沢の存する者・・・読み古されツヤの出た本
幽鬱無聊・・・憂鬱な時、暇な時