不偏不党

益軒は「養生訓」巻第二の末項に次の通り書いています。

「後人、その偏見に従いて組するは何ぞや。凡(おおよそ)職見なければその才弁ある説に迷いて、偏執に泥(なず)む。」
(後世の人は、その偏見に簡単に従ってしまうのはどういう事だろう。おおよそ見識がなければその才弁ある説に惑わされて、偏った説にとらわれてしまう事になる)

続けて

「その偏見は信ずべからず。王道は偏なく党なくして平平なり。」

と書いています。
これは中国・元の時代の医者・丹渓のひとつの説を批判する文章のようです。丹渓という医師は古くからの名医であり、医学に功績があるのは確かだが、全ての説を鵜呑みにするのは良くないと益軒は言っているのです。

ところでこの「王道は偏なく党なくして平平なり」という言葉は書経の「無党無偏、王道平平」(むとうむへんおうどうへいへいなり)を参考としているようです。「徒党に組みせず、偏らず。王道は公平なものである」といった意味で、同様な言葉が墨子の書にもあるようです。

私も「不偏不党」を実践したく考えているのですが、非力な者としては現実社会ではなかなか難しいようで・・・。