「知略を好み、人を殺す事を好まず。毎毎和議を以(もち)、敵を降参せしめ、人の軍を全(まっと)うして、人の命を助くる事、毎度其(その)数をしらず。百度勝(かつ)は、善の善なる者にあらず、戦はずして人の兵を屈するは、善の善なる者也といへるごとし。然(しか)れば如水は、智仁勇の三徳共に備はりたる人傑なるべし。平生仁愛有て、家人を能(よく)なつけ給(たま)う故に、家人も亦(また)よく思ひ付て忠を盡(つく)しける。」
と『黒田家譜』には如水の事が書かれています。そして著者の貝原益軒は次の通り続けます。
「其頃は乱世の後にて、人を殺す事を何とも思わず、家人を手打にする人往往有しが、如水は一生手打をし給ひたる事なし。他家に士を手打するを、短慮の至也とぞのたまいける。家中の士、如水をうらみて出奔(しゅっぽん)したる者なし。罪科によりて追放にあい、切腹したる者稀なり。家人悪事あれば、思ふ様にしかり、根深き科(とが)にあらざれば、其座より用事をいひ付たまいける。」
如水は他家で部下を手打するような事が起こると「短慮の至」と言い切り、一生涯、部下を手打ちにすることはなかったようです。また、間違いのあった部下を呼びつけ、厳しく𠮟りつけるものの、その罪が重くない者にはその場で用事を言いつけ主従関係が壊れていない事を暗に伝えていたようです。