龍宮寺の由来

筑前国続風土記 巻之四 で龍宮寺の由来が寺家の言い伝えとして次のように紹介されています。

1222年4月14日(承久の乱の翌年)に博多で人魚が捕らえられます。この事が朝廷に上奏されると冷泉なにがしという勅使が調査のため下向し、人魚が引き上げられた近くの浮御堂に滞在します。そして学者の安部大富がこの件を国家の吉兆と占い、しばらくして人魚はその場に埋められ、その地には寺が建てられます。寺は龍宮寺と名づけられ、山号はそこに滞在した勅使の名より「冷泉山」とされました。

 


聖福寺に所蔵される「博多古絵図」には櫛田神社の西岸辺りに「人魚此辺ヨリ上ルト云フ」と記されています。写真は大博通りに置かれている「博多古絵図」の複写図になります。