心の邪正、気の強弱は、筆画之を掩(おお)うこと能わず。喜怒哀懼(きどあいく)、勤惰静躁(きんだせいそう)に至りても、亦(また)皆諸(これ)を字に形(あら)わす。
心が正しいかそうでないか、気が強いか弱いかはその人の文字を見れば判断がつき、隠すことができない。その他、喜び、怒り、哀しみ。懼(おそ)れ、勤勉、惰(おこた)り、冷静さ、躁がしさなどの感情もみな文字に表れる。
佐藤一斎/言志録
悪筆の自分には、この言葉も耳に痛い言葉です。ただ現代ではPCもあるので今更、達筆を目指す必要もないのではとも思うのですが、この様な考え方が『惰り』なのかもしれません。
文中にある喜怒哀懼の『懼(ク)』は恐れと同意のようで、儒教の経典『礼記』に記されるものです。一般的には喜怒哀楽といわれますが、こちらは仏典から来ているようです。