異説 賤ヶ岳の七本槍

益軒は『黒田家譜』で賤ヶ岳の七本槍の事を次のように記述しています。
 
福島一松先駆して首をとり、秀吉の御目にかける。その外秀吉の勇士、加藤虎之助、加藤孫六、平野権平、脇坂甚内、粕屋助左衛門、石川兵助、片桐助作、おおよそ七名、進み戦て柴田が先手を北の嶺へ追い上げ、分捕数多して比類なき高名せしかば、世俗にこれを志津が嶽の七本槍と号す。
 
続けて
石川兵助は、其処にてやがて討死す。
と書き、そして
福島一松戦功すぐれたりといへども、戦場かわりたる故、七本槍の数にいらず。
と注釈も添えています。
 
この様に益軒は七本槍に福島正則の代わりに石川一光の名を挙げています。