巌流島の戦い・小倉碑文

ここに兵術の達人・岩流と言う者がおり、武蔵に雌雄を決する事を求めた。岩流は真剣勝負を求めたが、武蔵はこれに対し「あなたは白刃を揮(ふる)って妙技を尽くせばよい。私は木刀を以て秘術を顕わそう」と硬い約束を交わした。長門と豊前の間の海中に舟嶋という嶋があり、両雄はここに相会し岩流は三尺の白刃を手に命を顧みず術を尽くす。武蔵は木刀を以て電光よりも早い一撃でこれを殺した。故に舟嶋は俗に岩流嶋と言われる様になった。

宮本伊織/小倉碑文

 

この「巌流島の戦い」に関する書は様々なものがあるようですが、武蔵自身はこの「巌流島の戦い」を記録に残しておらず、養子の宮本伊織(小倉小笠原藩家老)が建てた小倉碑文に刻まれる「巌流島の戦い」が、唯一、武蔵に近しい人が残したものになります。ただ身内による武蔵の顕彰碑になりますので、全てが信頼できるものかは不明です。決闘の前後も併せてどのような流れであったのかは想像に任すのみですが、武蔵が巌流(佐々木小次郎?)を斃したのは間違いのない事実ようです。