江戸後期の儒学者。岩村藩の出で、12歳で既に成人の域に達していた言われます。若き頃、大阪、江戸に学び、34歳で昌平坂学問所の塾長となります。
教えた弟子には佐久間象山、横井小楠、大橋訥庵(おおはしとつあん)、安積艮斎(あさかごんさい)などがおり、彼らの弟子たちからは幕末で名を馳せた著名人が多数輩出されます。
また、数十年に渡り書かれた『言志録』、『言志後録』、『言志晩録』、『言志耋録』は『言志四録』と呼ばれ、幕末の志士たちの愛読書になったと言われます。特に西郷隆盛は『言志四録』より101編の記事を手抄(しゅしょう/抜き書きする事)し座右の銘としていたと言う事です。
88歳で死去。墓は六本木交差点から北西に50mほど離れた深廣寺にあります。