天仰実相円満之兵法逝去不絶

肥後において逝去する際、自書の「天仰実相円満之兵法逝去不絶」の文字を遺像とせよと遺言する。よって孝子は碑を建て後世に永く伝える事とする。

宮本伊織/小倉碑文

 
武蔵は1645年5月19日に熊本で没しますが、その際、自書の「天仰実相円満之兵法逝去不絶」を遺像とすることを遺言します。孝子とは武蔵の養子・宮本伊織の事で武蔵の死去から9年後に小倉碑文を小倉・手向山に建立します。碑文の先頭にはこの「天仰 実相 円満 兵法 逝去 不絶」という文字が刻まれています。
意味は「天を仰ぎ、真実を相まみえ、欠ける事のない兵法は逝去しても絶えず。」と言った意味だと思われます。