『女大学』
巫覡(みこかんなぎ)などの事に迷て神佛を汚し近付(ちかづき)猥(みだり)に祈べからず。只人間の勤を能(よく)する時は祷(いの)らず迚(とて)も神佛は守り給ふべし。
『女大学評論』
巫覡などの事に迷て神佛を汚し猥に祈べからずとは我輩も同感なり凡(およ)そ是等(これら)の迷は不学無術より起ることなれば今日男子と女子と比較し孰(いづ)れか之に迷ふ者多きやと尋ねて果(はた)して女子に多しとならば即(すなは)ち女子に教育少なきが故(ゆえ)なり故に我輩は単に彼等の迷信を咎(とが)めずにして其(その)由(よつ)て来る所の原因を除く為めに文明の教育を勧むるものなり。
巫覡・・・加持祈祷を行う人。
ここでは巫覡に救いを求めることまで否定するものではないのでしょうが、我を失い一途に妄信することで実生活がなおざりになったり破綻してしまうことを危惧した言葉だと思われます。このような問題は今だけでなく昔からあったのかもしれません。
『和俗童子訓 巻之五』の「女子の嫁する時かねてより父母の(教)をしゆべき事十三条」という項の第八にはこの『女大学』の文章と同様の記述があり、「目に見えぬ鬼神のかたに心をまよはすべからず」との言葉が添えられています。