『論語(顔淵)』には「信なくば立たず」という言葉が見えますが、逆に『韓非子(備内篇)』には「人を信ずれば則ち人に制せらる」と書かれています。
これは性善説と性悪説の延長で非常に難しい問題です。
ずいぶん以前に、従業員の休憩室に盗聴器を取り付けた経営者の話を聞いたことがありますが、これは従業員だけではなく、本人にとっても結構負担な事だと感じます。生の悪口を聞けば、腹わたは煮えくり返るでしょうし、下手をすれば優秀な社員を解雇する羽目になるかもしれません。また逆に自分の部屋にも盗聴器を取り付けられはしないかと心配になって監視カメラを設置したり、人を疑う気持ちは増す一方かもしれません。
国家間の紛争などの非常事態の場合は、『韓非子』の言葉も否定する訳には行きませんが、「策士、策に溺れる」、小手先で人の立場を悪くするようなやり方はいつしか自分自身を顧みなければならない時が来るような気がしてなりません。
まあ考えは人それぞれでしょうが、個人的には『論語』の言葉を信じていたい思いです。