儒家 -孔孟-

春秋時代の孔子を始祖とし、戦国時代には「性善説」の孟子、「性悪説」の荀子が出ています。その後には儒学を体系化した「朱子学」の朱熹や大塩平八郎で有名な「陽明学」をおこした王陽明などが知られています。日本では江戸時代に「朱子学」が主流となりますが、これに対し「四書五経」など原典を直接参照すべきではないかといった考え方の「古学」を主張する学者も現れます。現代では一般学生が儒学そのものを勉強することはほぼないのでしょうが、高校時代には「漢文」などで概要に触れることがあるのかもしれません。

思想については極端で解りやすい言い方をするならば 「為政者は仁徳を基に社会を治め、民は孝悌の姿勢で尽くす」また「社会は信義を基盤に成立する」こんな考え方なのかもしれません。日本や朝鮮半島では古くからこの儒教思想を熱心に取り入れますが、これは「国家統治を容易に行うため」との穿った見方もあります。実際、日本や朝鮮半島では民による革命が起こらなかったのはこの儒教思想が深く関係しているのかもしれません。そして日本と韓国では国民性は異なるものの、今もこの儒教思想の影響が色濃く残っているものと考えられます。

 


是れを過ちと謂う 投稿日2022年12月10日
子曰(いわく)、過(あやま)ちて改めざる、是(こ)れを過ちと謂(い)う 孔子/論語・衛霊公代十五   自身も若い頃はプライドから過ちを認められず、なかなか前に進めない状況に陥るこ [...]

信なくば立たず 投稿日2022年2月23日
『論語(顔淵)』には「信なくば立たず」という言葉が見えますが、逆に『韓非子(備内篇)』には「人を信ずれば則ち人に制せらる」と書かれています。 これは性善説と性悪説の延長で非常に難しい問題です。 ずいぶ [...]

衆これを悪むも必ず察す 投稿日2021年9月26日
子曰、衆悪之必察焉、衆好之必察焉 子曰、衆これを悪(にく)むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す。 孔子/論語・衛霊公代十五   先生(孔子)はこう言った「人々が悪く言う時もよく事情を察し [...]

則ち怨み遠のく 投稿日2021年8月28日
子曰、躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣 子曰、自ら躬(み)を厚くして、而(しか)も人に於いては薄く責むれば、則(すなわ)ち怨み遠のく。 孔子/論語・衛霊公代十五   佐藤一斎は『言志録』の中 [...]

己の欲せざる所は人に施す勿れ 投稿日2021年8月22日
子貢問うて曰、一言にして以て終身これを行なうべき者ありや。子曰、それは恕か、己の欲せざる所は人に施す勿(なか)れ。 弟子の子貢が「一生を通じて為すべきことを一言で表すとどんな言葉でしょうか?」と孔子に [...]

不可なるを知りて為す者か 投稿日2021年8月2日
子路(しろ)、宿る石門に於いて、晨門(しんもん)の曰わく、奚(いずれ)れよりぞ。子路が曰わく、孔氏よりぞ。曰わく、是れ其の不可なる事を知りて而(しか)もこれを為す者か。 子路が泊まろうとして町の門に至 [...]

博奕を成すは猶お已むに賢れり 投稿日2021年7月27日
子曰、終日飽きるまで食し、心用いる所なきは、難いかな。博奕(ばくえき・博打の事)なる者あらずや。これを成すは猶(な)お已(や)むに賢(まさ)れり。 日々飽食し、考える事もしない者は、先が思いやられる。 [...]

孟子の三言を師とすべし 投稿日2021年6月16日
読書の法は、当(まさ)に孟子の三言を師とすべし。 読書の方法は、孟子の三つの言葉を師とすべきである 佐藤一斎/言志録   「孟子の三言」とは次の通りです。 〇「意を以て志を逆(さか)う」‥‥ [...]

論語・色を好むが如くする者を見ざるなり 投稿日2021年6月13日
子(し)曰(い)わく、己(や)んぬるかな。吾れ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。 先生が言われた「どうしようもない事だ。色を好む者は沢山いるのに、徳を大事に思う者はなかなか見当たらない。」 [...]

傲は長ず可からず 投稿日2021年6月6日
貝原益軒は五経の一つ『礼記』から「楽しみは極むべからず」という言葉を取り上げていますが、佐藤一斎も同じ文節から「傲は長ず可からず。欲は従(ほしいままに)にす可からず」という言葉を挙げています。 ただ一 [...]

伝習録・人生の大病は傲の字なり 投稿日2021年5月30日
人生の大病はただこれ一の傲の字なり 人生で罹る最大の病は、ただひとつ傲慢になることである。   この言葉を残したのは、中国•明の時代に陽明学を起こした王陽明になります。王陽明が生きた時代は日 [...]

海舟は性善説?性悪説? 投稿日2021年3月2日
『新訂海舟座談』で海舟は性善説、性悪説に言及しています。   孟子は、性善といい、荀子は性悪といったが、性善でもなく、性悪でもないようだが、先ず、どッちかと言うと、悪い方が多いようだ。 &n [...]

人を謗らずは難しい? 投稿日2018年11月18日
貝原益軒の 大和俗訓 巻之五 言語 には次の通り書かれています。 「人をそしるは、其の人に対せず、かげにてひそかに言ふことなれば、其人知るべからず、何の害かあらんと思ふは愚かなり。そしりは必もれやす [...]

禍と福について 投稿日2018年5月16日
「命の長短は身の強弱によらず、慎と慎しまざるによれり。白楽天が語に、福と禍とは、慎と慎しまざるにあり、といえるが如し。」と養生訓で益軒は語っています。 (寿命は身体の強弱ではなく慎むか慎まないかで決ま [...]

大きく疑えばすなわち大きく進むべし 投稿日2018年5月13日
益軒の哲学書「大疑録」には「大きく疑えばすなわち大きく進むべし。小さく疑えばすなわち小さく進むべし。疑わざれば進まず。」という朱子の言葉が載せられています。 これは「学門は覚えるだけではなく、疑問を持 [...]

養生の至れる法あり 投稿日2018年5月10日
益軒は「古人の教えに養生の至れる法あり」と養生訓で三人の言葉を挙げています。 孟子 「寡欲」(欲を寡[すく]なく) 王昭素 「身を養う事は欲を寡するにしくはなし」 [...]

楽しみは極むべからず 投稿日2018年4月22日
五経の中の「礼記(らいき)」には「楽しみは極むべからず」とあります。 物事は極めてしまえば面白みが薄れるという言葉で、転じて「何事もほどほどに止め、やり過ぎはよろしからず」といった戒めの言葉なのかもし [...]

言に匪ずんば言うなかれ 投稿日2018年4月22日
「言に匪(あら)ずんば言うなかれ 由に匪ずんば語るなかれ」 これは高校の漢文または倫理社会で学んだ儒教の基礎となる書物・四書五経のひとつ「詩経」に書かれている言葉です。 「言わなくてよい事は発言しては [...]

不偏不党 投稿日2018年4月19日
益軒は「養生訓」巻第二の末項に次の通り書いています。 「後人、その偏見に従いて組するは何ぞや。凡(おおよそ)職見なければその才弁ある説に迷いて、偏執に泥(なず)む。」 (後世の人は、その偏見に簡単に [...]