中国の古典

中国古典は四千年の歴史の中で脈々と編み上げられただけあって非常に面白く、生きていく上でためになる多くの話や言葉に接することができます。日本の学者の言葉もこの中国古典から影響を受けたものが多く見受けられます。そんな日本の学者の言葉を中心に中国古典の話をダラダラと書いていこうと思います。
最近、中国という国を理解しがたいと感じる日本人は結構多いと思うのですが、もし中国人の考え方を知りたいという願望が芽生えたときにはこの中国古典を紐解いてみるのが一番の早道だと思われます。日本人の基本思想・儒教は信義を尊び礼儀正しい日本人の基本理念でそれは国際的にも高く評価されていると私は信じるのですが、ただ中国人にとって儒教はいくつもの思想の中の一思想でしかないのです。この辺りが日本人が中国という国を理解できないひとつの要因となっているのかもしれません。
ここでは益軒の他、古来の学者たちが参考にしたと思われる中国の古書や名言について記載します。
 
 
 
【「中国古典」に関する投稿】

人生はもとよりこれ一傀儡なり 投稿日2024年11月4日
人生は原(もと)よりこれ一傀儡(かいらい)なり、ただ根蒂(こんてい)の手に在るを要すれば、一線乱れず、巻舒(けんじょ)自由、行止我に在り。一毫(ごう)も他人の提掇(ていてつ)受けざれば、便(すなわ)ち [...]

此れ坐忘と謂う 投稿日2024年9月8日
肢體(したい)を墮(おと)し、聰明を黜(しりぞ)け、形を離れ知を去りて、大通に同ず、此(こ)れ坐忘と謂(い)う。   身体を離れ、聡明さを棄て、形に囚われる事なく、知識を忘れれば、道に通じる [...]

信言は美ならず、美言は信ならず 投稿日2024年8月16日
信言は美ならず、美言は信ならず。 老子 自身のためになる忠告は心に苦く感じるものであり、逆に自身にとって快い言葉は信用できるものではない。   伝統の文化や技術、芸能に身を置く者でもなく、 [...]

知に処するは則ち難し 投稿日2024年4月20日
知は難(かた)きに非ず、知に処するは則ち難し 知識を得るのは難しいことではない。しかし、その知識をもって物事に対処する事が難しいのだ。   韓非子   言葉で理想を披露するのは簡 [...]

一杯一杯また一杯 投稿日2024年4月7日
両人対酌すれば山花開く 一杯一杯また一杯 『山中に幽人と対酌す』/李白   李白は中国・唐の時代に生きた詩人で、40代前半に玄宗皇帝に仕えます。しかし、街の酒場で呑んだくれていた李白は皇帝 [...]

足るは足るを知るなり 投稿日2024年3月23日
老子は満足を知る事の重要性を次の通り語っています。   天下に道あれば走馬を却(しりぞ)け以って糞(つちか)う。天下に道なければ戎馬(じゅうば)、郊に生ず。 天下に『道』があれば馬は田畑を耕 [...]

柔よく剛を制す 投稿日2024年3月20日
軍讖曰く、柔よく剛を制し弱よく強を制す。柔は徳なり、剛は賊なり、弱は人の助くるところ、強は怨みの攻むるところなり。柔も設くるところあり、剛も施すところあり、弱も用うるところあり、強も加うるところあり。 [...]

大器晩成 投稿日2024年3月17日
大方は角なし。大器は晩成す。大音は希音なり。大象は無形なり。 広大な四角の角は見えない。大きな器は完成するのに時間がかかる。大きな音は微かな音にしか聞こえない。巨大な物体は全体の形を把握する事ができな [...]

和光同塵 投稿日2024年3月16日
その鋭きを挫(くじ)き、その紛を解き、その光を和げ、その塵を同じうす。 鋭く尖ったものを挫き、争い事を収め、強い陽射しを和らげ、その上で塵の様に存在がどこにあるのかわからない。 老子   『 [...]

上善は水の如し 投稿日2024年3月10日
上善は水の如し、水は善く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に居る。故に道に幾(ちか)し。 最善の生き方は水のようである。水は万物に利を与え争うことがない。そして人々の好まない低い所へ流れる。故に [...]

国を全うするを上となす 投稿日2024年2月24日
凡(おおよ)そ用兵の法は、国を全うするを上となし、国を破るは之に次ぐ 軍事を用いる時は、相手国をそのまま味方に引き入れる事がベストであり、撃ち破る方法はその次である。 これは『孫子』の言葉になります [...]

小人と仇讐することを休めよ 投稿日2024年1月20日
小人と仇讐(きゅうしゅう)することを休(や)めよ。小人は自ずから対頭(たいとう)あり。君子に向かいて諂媚(てんび)することを休めよ。君子は原(もと)より私恵なし。 小人といがみ合うようなことをしては [...]

公論を借りて私情を・・・ 投稿日2023年11月19日
群疑に因(よ)りて独見を阻むことなかれ。己の意に任せて人の言を廃することなかれ。小恵を私して大体を傷(やぶ)ることなかれ。公論を借りて私情を快くするなかれ 多くの人が受け入れないからといって少数派に意 [...]

我、人に功あれば念うべからず 投稿日2023年10月7日
我、人に於いて功あれば念(おも)うべからず。しかして過ちは則ち念わざるべからず。人、我に恩あれば忘るべからず。しかして怨みは則ち忘るざるべからず。 人にためにしたことは忘れてしまうべきだが、人に迷惑 [...]

相去ること霄壤なり 投稿日2023年9月16日
己を返みる者は、事に触れみな薬石と成る。人を尤(とが)むる者、念を動かせばすなわちこれ戈矛(かぼう)。一は以って衆善の道を闢(ひら)き、一は以って諸悪の源を濬(さら)う。相去ること霄壤(しょうじょう) [...]

帰師は遏むるなかれ 投稿日2022年12月17日
孫子の「囲師遺闕」(囲んだ敵には逃げ道を残す)は有名な言葉ですが、その次には「帰師勿遏」という言葉が続きます。「帰師(きし)」とは自国に逃げ帰る敵。「遏」は「とどめる」。「勿」は禁止形の「なかれ」で「 [...]

是れを過ちと謂う 投稿日2022年12月10日
子曰(いわく)、過(あやま)ちて改めざる、是(こ)れを過ちと謂(い)う 孔子/論語・衛霊公代十五   自身も若い頃はプライドから過ちを認められず、なかなか前に進めない状況に陥るこ [...]

冷眼にて人を観る 投稿日2022年12月4日
冷眼観人、冷耳聴語、冷情当感、冷心思理 冷眼にて人を観、冷耳にて語を聴、冷情にて感に当たり、冷心にて理を思う 洪自誠/菜根譚   「冷」は冷静なという意味。人とは何事にも感情が入りやすいもの [...]

人を責むる者は・・・ 投稿日2022年11月5日
人を責むる者、過ある中に於いて過なきを原(たず)ぬれば、則ち情平かなり。己を責むる者、過なき内に於いて過ありを求むれば、則ち徳進むなり。 人を責めるときは、過失の中にも過失のなかった部分も考慮してやれ [...]

馬耳東風って李白の言葉!? 投稿日2022年10月15日
詩を吟(ぎん)じ賦(ふ)を作る北窓の裏 万言(まんごん)値(あたい)せず一杯の水 世人これを聞き皆頭(こうべ)を掉(ふる)う 馬耳を射る東風の如(ごとく)あり   これは李白作「荅王十二寒夜 [...]

小敵の堅は大敵の擒なり 投稿日2022年9月18日
故に用兵の法は、十なれば則(すなわち)ちこれを囲み、五なれば則ちこれを攻め、倍なれば則ちこれを分かち、敵すれば則ちこれと能(よ)く戦い、少なければ則ちこれを逃れ、若(し)かざればこれを避く。故に小敵の [...]

怒りを以って師を興すべからず 投稿日2022年9月13日
『孫子 -火攻篇第十二-』に書かれている言葉です。 主は怒りを以って師を興(おこ)すべからず。 将は愠(いきどお)りを以って戦うべからず。 利に合えばすなわち動き、利に合わなければすなわち止む。 [...]

奔馳角逐の心を消すべし 投稿日2022年5月3日
自ら老て少を視れば、以て奔馳(ほんち)角逐(かくちく)の心を消(しょう)すべし。自ら瘁(すい)より栄を視れば、以て紛華(ふんか)靡麗(びれい)の念を絶つべし。 老いた立場で若い時を見る事で、むやみに [...]

一飯も竟に終身の感を致す 投稿日2022年4月23日
千金も一時の歓を結び難く、一飯も竟(つい)に終身の感を致す。蓋(けだ)し愛重ければ反して仇をなし、薄極まわりて翻(ひるがえ)って喜びをなす也。 大金を贈っても喜ばれない事があれば、一度の食事を提供し [...]

例えば卒然の如し 投稿日2022年4月16日
以下、「孫子/九地篇」より 故によく兵を用うる者は、例えば率然(そつぜん)の如し。率然とは常山の蛇なり。その首を撃てば則ち尾至り、その尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶に至る。 用兵 [...]

衆は害に陥りて能く勝敗を為す 投稿日2022年4月4日
これを亡地に投じて然(しか)る後に存し。これを死地に陥れて然る後に生く。 衆は害に陥りて然る後に能く勝敗を為す。 孫子/九地篇   兵は死ぬか生きるかの状況に陥れてこそ生き残れる。 集団 [...]

徳は才の主 投稿日2022年3月21日
徳は才の主、才は徳の奴(やっこ)。才ありて徳なきは、家に主なくして、奴、事を用うるが如し。いかんぞ魍魎(もうりょう)の猖狂(しょうきょう)せざらん。 徳は才の主人であり、才は徳の使用人である。才能があ [...]

兵とは国の大事なり 投稿日2022年2月26日
孫子いわく、兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざる也 孫子の冒頭、計篇には上記の通り「戦争とは国の大事である。生きるか死ぬかの存亡の道。様々な事情を察し、慎重に考慮しなければなら [...]

信なくば立たず 投稿日2022年2月23日
『論語(顔淵)』には「信なくば立たず」という言葉が見えますが、逆に『韓非子(備内篇)』には「人を信ずれば則ち人に制せらる」と書かれています。 これは性善説と性悪説の延長で非常に難しい問題です。 ずいぶ [...]

その鋒鋩を露すべからず 投稿日2022年2月13日
澹泊(たんぱく)の士、必ず濃艶(のうえん)なる者の疑う所となり、検飾(けんしょく)の人、多く放肆(ほうし)なる者の忌む所となる。君子、これに処し、もとより少しもその操履(そうり)を変ずべからず、または [...]

則ち誠聞こえず 投稿日2022年1月8日
観聴不参則誠不聞 観聴参せずんば、則ち誠聞こえず 自らの目で見、耳で聞かなければ、真実は見えてこない。   韓非子   韓非子は、取次ぐ者を置いて任せてしまうと、臣下の声が届き難く [...]

智者の慮はかならず利害に雑う 投稿日2022年1月1日
智者の慮(おもんぱかる)は必ず利害に雑(まじ)う 孫子の九変篇には、上記の通り「智者は、物事には必ず利と害が共存する事を考慮するものである」と書かれています。   だからこそ、「利」がありそ [...]

禍は口より出で 投稿日2021年12月25日
禍自口出病自口入 佐藤一斎/言志録   言語を慎しまざれば、以て禍を招くに足り、飲食を慎しまざれば、以て病を致すに足る。諺に云う、禍は口より出で、病は口より入る。   元々「禍自口 [...]

衆これを悪むも必ず察す 投稿日2021年9月26日
子曰、衆悪之必察焉、衆好之必察焉 子曰、衆これを悪(にく)むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す。 孔子/論語・衛霊公代十五   先生(孔子)はこう言った「人々が悪く言う時もよく事情を察し [...]

則ち怨み遠のく 投稿日2021年8月28日
子曰、躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣 子曰、自ら躬(み)を厚くして、而(しか)も人に於いては薄く責むれば、則(すなわ)ち怨み遠のく。 孔子/論語・衛霊公代十五   佐藤一斎は『言志録』の中 [...]

三十六策、是れ走を上計とす 投稿日2021年8月22日
檀公三十六策、是れ走(にぐる)を上計とす 三十六計逃げるにしかず。 蕭子顕/南斉書・王敬則伝   檀公(だんこう)・・・南北朝時代の宋の将軍・檀道済(だんどうさい)の事。『兵法三十六計 [...]

己の欲せざる所は人に施す勿れ 投稿日2021年8月22日
子貢問うて曰、一言にして以て終身これを行なうべき者ありや。子曰、それは恕か、己の欲せざる所は人に施す勿(なか)れ。 弟子の子貢が「一生を通じて為すべきことを一言で表すとどんな言葉でしょうか?」と孔子に [...]

漱石が子規からもらった漱石 投稿日2021年8月16日
漱石枕流 石に口を漱(すす)ぎ、流れを枕にす。 晋書   晋の孫楚(そんそ・晋の政治家)は天才肌ではあったのですが、諸刃の刃で自信家で負けず嫌いな面もありました。あるとき隠遁生活が理想の生き [...]

兵の形は水に象る 投稿日2021年8月14日
夫(そ)れ兵の形は水に象(かたど)る。水の行は高きを避けて下(ひく)きに趨(おもむ)く。兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝を制す。故に兵に常勢なく、水に常形なし。能 [...]

逆境の中に居ればみな薬石 投稿日2021年8月13日
逆境の中に居れば、身の周りみな鍼砭薬石(しんぺんやくせき)なり、節を砥(と)ぎ行いを礪(みが)きて、而(しかも)も覚らず。順境の内に処れば、前尽(ことごと)く兵刃戈矛(へいじんかぼう)で満る、膏(あぶ [...]

風林火山のつづきは? 投稿日2021年8月13日
風林火山 武田信玄   この言葉は武田軍の軍旗の通称で、次の通り書かれていました。   「其疾如風其徐如林侵掠如火不動如山」 其(そ)の疾(はや)きこと風の如く、其の徐(しず)かな [...]

人を致して人に致されず 投稿日2021年8月10日
先に戦地に処(お)りて敵を待つ者は佚(いっ・楽で余裕がある)し、後れて戦地に処りて戦いに趨(おもむ)く者は労す。故に善く戦う者は、人に致して人に致されず。能く敵人をして自ら至らしむる者はこれ利すればな [...]

戦わずして人の兵を屈する 投稿日2021年8月9日
百戦百勝は善の善なる者にあら非ざるなり、戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり 全戦全勝は最善の方法ではない。戦わずに敵を従わすのが最善のやり方である。 孫子/謀攻篇   孫子には冒頭の [...]

公平正論には手を犯すべからず 投稿日2021年8月8日
公平正論には、手を犯すべからず。一たび犯せば則ち羞を万世に残す。権門(けんもん)私竇(しとう)には脚を着くべからず。一たび着けば終身の汚点とす。 私欲のために公平正論を退ける様な事をしてはいけない。一 [...]

不可なるを知りて為す者か 投稿日2021年8月2日
子路(しろ)、宿る石門に於いて、晨門(しんもん)の曰わく、奚(いずれ)れよりぞ。子路が曰わく、孔氏よりぞ。曰わく、是れ其の不可なる事を知りて而(しか)もこれを為す者か。 子路が泊まろうとして町の門に至 [...]

博奕を成すは猶お已むに賢れり 投稿日2021年7月27日
子曰、終日飽きるまで食し、心用いる所なきは、難いかな。博奕(ばくえき・博打の事)なる者あらずや。これを成すは猶(な)お已(や)むに賢(まさ)れり。 日々飽食し、考える事もしない者は、先が思いやられる。 [...]

愚直でなければ・・・ 投稿日2021年7月20日
事を遂げるものは、愚直でなければ。あー才ばかりに走つてはイカヌ。 勝海舟/海舟語録   中国の古い書物『列子』には「愚公山を移す」という話が載っています。 愚公老人の住む地域の人々は、北へ行 [...]

人は木石にあらず皆情あり 投稿日2021年7月19日
表題の言葉は単独で語られる事が多いようですが、実は「美女に惑う事を戒める詩」の様で後が続きます。   人は木石にあらず皆情あり。傾城(けいせい)の美女には遇わざるに如かず   これ [...]

孟子の三言を師とすべし 投稿日2021年6月16日
読書の法は、当(まさ)に孟子の三言を師とすべし。 読書の方法は、孟子の三つの言葉を師とすべきである 佐藤一斎/言志録   「孟子の三言」とは次の通りです。 〇「意を以て志を逆(さか)う」‥‥ [...]

論語・色を好むが如くする者を見ざるなり 投稿日2021年6月13日
子(し)曰(い)わく、己(や)んぬるかな。吾れ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。 先生が言われた「どうしようもない事だ。色を好む者は沢山いるのに、徳を大事に思う者はなかなか見当たらない。」 [...]

孫子・将に五危有り 投稿日2021年6月12日
故に将に五危有り、必死は殺され、必生は虜にされ、忿速は侮られ、潔廉は辱められ、愛民は煩わさる。   と孫子では、「死ぬのを怖がらない者」、「生き延びる事にこだわる者」、「怒り猛る者」、「清廉 [...]

菜根譚・太だ厳なることなかれ 投稿日2021年6月10日
人の悪を攻むるには太だ厳なることなかれ 人の悪いところ注意する時は、厳しい言動で責めてはいけない。 社会のため、所属する団体のため、本人のため、いろんな理由はあるのでしょうが、相手の反発を招くような [...]

長所サエ知レバ短所ハ知ルニ及バズ 投稿日2021年6月9日
長所ニ短所ハツキテハナレヌ者ユエ、長所サエ知レバ短所ハ知ルニ及バズ。 荻生徂徠   短所を激しく責めれば、人は離れ長所をも失う可能性があると言う事でしょうか? 陳寿の書いた『三国志』でも呉の [...]

菜根譚・寵辱に驚ず 投稿日2021年6月8日
寵辱に驚ず、閑(しず)かに看(み)る庭前の花開き花落つるを。   人気を得ても、辱しめを受けても右往左往することなく、庭先に咲き、また落ちる花をひとり静かに眺めて見る様な心境が大事である。 [...]

傲は長ず可からず 投稿日2021年6月6日
貝原益軒は五経の一つ『礼記』から「楽しみは極むべからず」という言葉を取り上げていますが、佐藤一斎も同じ文節から「傲は長ず可からず。欲は従(ほしいままに)にす可からず」という言葉を挙げています。 ただ一 [...]

孫子・兵とは詭道なり 投稿日2021年6月5日
兵とは詭道(きどう)なり 孫子の計篇には、戦いは(死ぬか生きるかの道であり)通常では考えられない様な手段が使われるものであると書かれています。   それに続けて だからこそ、能力がある者は無 [...]

韓非子・巧詐は拙誠に如かず 投稿日2021年6月3日
巧詐(こうさ)は拙誠(せっせい)に如かず 巧にごまかして上手に振る舞う生き方は、つたなくても誠実な生き方にはとても及ばない   韓非は荀子の元で儒を学び、母国・韓に戻りますが、韓で登用される [...]

伝習録・人生の大病は傲の字なり 投稿日2021年5月30日
人生の大病はただこれ一の傲の字なり 人生で罹る最大の病は、ただひとつ傲慢になることである。   この言葉を残したのは、中国•明の時代に陽明学を起こした王陽明になります。王陽明が生きた時代は日 [...]

史記・天道是か非か 投稿日2021年5月28日
天道是か非か -天の道は正しいのか、それとも間違っているのか- これは史記に書かれた一節です。   子供の頃、ドラマですごい性悪の人がいて、勧善懲悪の世界で、その性悪の人がやっつけられて爽快 [...]

通俗偏・用いては疑うなかれ 投稿日2021年5月27日
疑わば用うるなかれ、用いては疑うなかれ (疑うのであればその人を登用してはいけない。登用したのであれば信じてまかせる事だ。) これは清の時代に書かれた『通俗偏』にある言葉です。   『海舟座 [...]

菜根譚・欹器は満を以って覆る 投稿日2021年5月23日
『欹器(いき)』とは水を入れる器の事で、水が満杯になると自然と覆って水を吐き出し、また水が溜まりだすと垂直に立ち安定し、水が満杯になると覆って水を吐き出すと言った動きを繰り返す装置のようです。菜根譚に [...]

衛生の道ちありて長生の薬なし 投稿日2021年3月11日
丘処機が、衛生の道ちありて長生の薬なし、といえるは、養生の道はあれど、うまれ付かざるいのちを、長くする薬はなし。只うまれ付きたる天年をたもつ道なり。 (養生の道はあるが、生まれついての命を伸ばす薬はな [...]

海舟は性善説?性悪説? 投稿日2021年3月2日
『新訂海舟座談』で海舟は性善説、性悪説に言及しています。   孟子は、性善といい、荀子は性悪といったが、性善でもなく、性悪でもないようだが、先ず、どッちかと言うと、悪い方が多いようだ。 &n [...]

事は密を以って成る? 投稿日2020年12月9日
事は密なるを以って成り、語は泄るるを以って敗る これは韓非子の言葉だったと思いますが、『黒田家譜』にはこの言葉を彷彿とさせるちょっとゾッとする話が書かれています。   「京都にありし信長の臣 [...]

囲師必闕 投稿日2020年11月26日
1577年11月、秀吉の軍は福原主膳の守る佐用城を攻めます。孝高は夜間に佐用城の三方を囲み、あと一方を空けて攻撃します。城では激しい戦いとなりますが、最終的に城は落ち福原主膳は囲みのない西の裏山へ脱出 [...]

人を謗らずは難しい? 投稿日2018年11月18日
貝原益軒の 大和俗訓 巻之五 言語 には次の通り書かれています。 「人をそしるは、其の人に対せず、かげにてひそかに言ふことなれば、其人知るべからず、何の害かあらんと思ふは愚かなり。そしりは必もれやす [...]

酒は衰微、花は半開。 投稿日2018年5月20日
「万(よろず)の事十分に満て、其(その)上にくは(加)へがたきは、うれいの本なり。古人の曰く、酒は微酔にのみ、花は半開に見る。」 (全ての事において、十分に満ち足りて、その上に加えることができない様な [...]

禍と福について 投稿日2018年5月16日
「命の長短は身の強弱によらず、慎と慎しまざるによれり。白楽天が語に、福と禍とは、慎と慎しまざるにあり、といえるが如し。」と養生訓で益軒は語っています。 (寿命は身体の強弱ではなく慎むか慎まないかで決ま [...]

大きく疑えばすなわち大きく進むべし 投稿日2018年5月13日
益軒の哲学書「大疑録」には「大きく疑えばすなわち大きく進むべし。小さく疑えばすなわち小さく進むべし。疑わざれば進まず。」という朱子の言葉が載せられています。 これは「学門は覚えるだけではなく、疑問を持 [...]

養生の至れる法あり 投稿日2018年5月10日
益軒は「古人の教えに養生の至れる法あり」と養生訓で三人の言葉を挙げています。 孟子 「寡欲」(欲を寡[すく]なく) 王昭素 「身を養う事は欲を寡するにしくはなし」 [...]

衣食足りて栄辱を知る 投稿日2018年5月8日
養生訓の一節。 「一日も楽しまずして、はかなく、年月を過ぬるは、愚なりと云うべし。」 なるほど~生まれて来たからには、人生、楽しく生きるべきなのだ。 「たとえ家が貧しくて、幸なくして、飢えて死ぬとも、 [...]

楽しみは極むべからず 投稿日2018年4月22日
五経の中の「礼記(らいき)」には「楽しみは極むべからず」とあります。 物事は極めてしまえば面白みが薄れるという言葉で、転じて「何事もほどほどに止め、やり過ぎはよろしからず」といった戒めの言葉なのかもし [...]

言に匪ずんば言うなかれ 投稿日2018年4月22日
「言に匪(あら)ずんば言うなかれ 由に匪ずんば語るなかれ」 これは高校の漢文または倫理社会で学んだ儒教の基礎となる書物・四書五経のひとつ「詩経」に書かれている言葉です。 「言わなくてよい事は発言しては [...]

不偏不党 投稿日2018年4月19日
益軒は「養生訓」巻第二の末項に次の通り書いています。 「後人、その偏見に従いて組するは何ぞや。凡(おおよそ)職見なければその才弁ある説に迷いて、偏執に泥(なず)む。」 (後世の人は、その偏見に簡単に [...]

徐福伝説は福岡にも? 投稿日2017年3月31日
徐福は秦の始皇帝より「延年益寿」の薬を探すように命を受け、若い男女3000人と五穀の種、工匠たちを引きつれ出航し蓬萊山へ向かうが、その後、徐福は広い土地を得て王となり始皇帝の元に戻ってくる事はなかった [...]

酒は天の美禄なり 投稿日2016年7月2日
貝原益軒は養生訓で「飲酒」について次のように語っています。 「酒は天の美禄である。少量の飲酒であれば陽気になり血行も良くなり、食欲も出て、愁いを忘れ、やる気が起こり、たいへん利益がある。ただし多量に [...]

学校院跡 投稿日2014年7月19日
「筑前国続風土記」では、「学業院(学校院)は吉備真備(きびまきび)が建てたと伝えられているが、おそらく真備が天平6年(734)、大宰大弐に任じられた時の事ではないか」と推測しています。 また神護景雲3 [...]