教育に関する言葉

教育は難しいけれでも大切な事。教育のヒントになる言葉です。
 


さもなくば耐え忍べ 投稿日2025年2月23日
"人類はお互い同士のために創られた。ゆえに彼らを教えるか、さもなくば耐え忍べ。"   アウレーリウスの周りには伝えても伝わらない人が少なからずいたようです。「教え諭すことが出来なければ耐え忍 [...]

人を棄てあるいは笑うべからず 投稿日2024年2月24日
山岡鉄舟は「人にはすべて能不能あり 一概に人を棄てあるいは笑うべからず」という言葉を残していますが、鉄舟にとって絶対に捨てられなかった人物とは、おそらく薩摩の益満休之助の事だと思われます。   [...]

説教は大変だ!! 投稿日2024年2月23日
イギリスの経済学者のジョン・メイナード・ケインズは「教育」についてこう言ったといいます。 ”それは無能な者によって理解できない事を無関心な者に教え込むことである”   私事ですが、最近 つく [...]

要は須らく志を責むべし 投稿日2023年12月23日
人を教うる者、要は須(すべか)らく其の志を責むべし。聒聒(かつかつ)として口に騰(のぼ)すとも、無益なり。 人に物事を教える者の要はその人の志を教える事が肝要である。口うるさくこまごま言い聞かせても無 [...]

能く人を容れる者にして 投稿日2023年3月24日
能(よ)く人を容(い)るる者にして、而(しか)る後、以て人を責むべし。人も亦(また)其(その)の責を受く。人を容るること能(あた)わざる者は人を責むること能わず。人も亦其の責を受けず。 人を受け入れる [...]

人を責むる者は・・・ 投稿日2022年11月5日
人を責むる者、過ある中に於いて過なきを原(たず)ぬれば、則ち情平かなり。己を責むる者、過なき内に於いて過ありを求むれば、則ち徳進むなり。 人を責めるときは、過失の中にも過失のなかった部分も考慮してやれ [...]

聖人も如何ともすることなし 投稿日2021年7月18日
志なき人は聖人もこれを如何(いかん)ともすることなし 荻生徂徠   私の教育を担任された先生方はほぼ尊敬される方々でしたが、当人が「志なき人」であったため、この言葉通りに如何ともすることがな [...]

後は大に歪むものなり 投稿日2021年6月20日
少し心の歪みに付いて、後は大に歪むものなり 小さい歪みは、あとには大きく歪むものである 宮本武蔵/五輪書-地の巻-   最初が曲がっていれば、放物線を描く様に大きく曲がって行くに違いありませ [...]

ほめてやらねば人は動かじ 投稿日2021年6月15日
やってみせ言って聞かせてやらせみて、ほめてやらねば人は動かじ 山本五十六   この言葉は上杉鷹山の「してみせて言って聞かせてさせてみる」に言葉を加えたものといわれています。 [...]

平易なるを要して艱奥なるを要せず。 投稿日2021年6月1日
簡明なるを要して煩悉(はんしつ)なるを要せず。平易なるを要して艱奥(かんおう)なるを要せず。只だ須らく聴者をして大意の分暁(ぶんぎょう)するを得しむれば可なり。 簡単な事が必要で、細かく説明する事は不 [...]

憤は進学の機関なり 投稿日2021年5月29日
憤の一字は、是れ進学の機関なり。 物事に触れ、感動し、志を立てる事。これが学を進めるため道具である。 佐藤一斎/言志録   目的を達成するためには、志を立てる事が重要あり。その志を立てるには [...]

立志は本心の好む所に従うのみ 投稿日2021年5月14日
学は立志より要なるは莫(な)し。而(そ)して立志も亦(また)之れを強うるに非らず。只だ本心の好む所に従うのみ。 学問を始めるには志を立てる事が大事である。そして人が強いてはいけない。志を立てるのは本人 [...]

子供を教育するには・・・ 投稿日2019年8月31日
「子供を教育するには、よほど気を付けんといかん。 あまり学問々々といって居ると、口ばかり達者になってじきに親爺をやりこめるようになるよ。 (中略) しかしそういう息子のある家の庫(くら)には遠からず蜘 [...]

大きく疑えばすなわち大きく進むべし 投稿日2018年5月13日
益軒の哲学書「大疑録」には「大きく疑えばすなわち大きく進むべし。小さく疑えばすなわち小さく進むべし。疑わざれば進まず。」という朱子の言葉が載せられています。 これは「学門は覚えるだけではなく、疑問を持 [...]