『小倉碑文』には武蔵の父親の事が次の通り書かれています。
父親は新免無二と号し、十手の術家であった。(現代語訳)
武蔵も家を継ぎ、十手の技を磨きますが、ある日、二刀で十手の利を補う事を考え、二刀流の術家となります。後に武蔵は日本第一の兵術家・吉岡家と三度の決闘を行い負けることがありませんでした。
ところで父・新免無二も吉岡家と以前に戦った事があるようで、碑文には次のように刻まれています。
足利義昭公の時、武蔵の父・新免無二を召し、吉岡と勝負を命じる。三本勝負とし吉岡が一本を取り、新免が二本を取り勝負は決した。これにより新免無二は日下(ひのもと)無双兵法術者の称号を賜る。(現代語訳)
『小倉碑文』とは、小倉小笠原藩家老の宮本伊織が養父・武蔵の事蹟を残すために手向山(たむけやま)に建立した石碑になります。