相手に対する姿勢は大事です。軽はずみな対応や容赦ない行動で手痛いしっぺ返しを受けることもあり得ないことではありません。そんな事を戒める言葉です。
君が善事をなしたとき 投稿日2025年3月30日
"君が善事をなし、他人が君のおかげで善い思いをした時に、なぜ・・・(中略)・・・善いことをしたという評判や、その報酬を受けたいなどと考えるのか。" 自省録/アウレーリウス アウレーリウス [...]
苦手に慣れよ 投稿日2024年10月6日
「すべて君が苦手だと思うものに慣れよ。なぜならば左手は習慣のないために他のあらゆる仕事には不器用なのに、手綱は右の手よりもしっかりと持つ。それはこれに慣れているからだ。」 自省録/アウレーリウス &n [...]
和光同塵 投稿日2024年3月16日
その鋭きを挫(くじ)き、その紛を解き、その光を和げ、その塵を同じうす。 鋭く尖ったものを挫き、争い事を収め、強い陽射しを和らげ、その上で塵の様に存在がどこにあるのかわからない。 老子 『 [...]
公論を借りて私情を・・・ 投稿日2023年11月19日
群疑に因(よ)りて独見を阻むことなかれ。己の意に任せて人の言を廃することなかれ。小恵を私して大体を傷(やぶ)ることなかれ。公論を借りて私情を快くするなかれ 多くの人が受け入れないからといって少数派に意 [...]
帰師は遏むるなかれ 投稿日2022年12月17日
孫子の「囲師遺闕」(囲んだ敵には逃げ道を残す)は有名な言葉ですが、その次には「帰師勿遏」という言葉が続きます。「帰師(きし)」とは自国に逃げ帰る敵。「遏」は「とどめる」。「勿」は禁止形の「なかれ」で「 [...]
人を責むる者は・・・ 投稿日2022年11月5日
人を責むる者、過ある中に於いて過なきを原(たず)ぬれば、則ち情平かなり。己を責むる者、過なき内に於いて過ありを求むれば、則ち徳進むなり。 人を責めるときは、過失の中にも過失のなかった部分も考慮してやれ [...]
一飯も竟に終身の感を致す 投稿日2022年4月23日
千金も一時の歓を結び難く、一飯も竟(つい)に終身の感を致す。蓋(けだ)し愛重ければ反して仇をなし、薄極まわりて翻(ひるがえ)って喜びをなす也。 大金を贈っても喜ばれない事があれば、一度の食事を提供し [...]
その鋒鋩を露すべからず 投稿日2022年2月13日
澹泊(たんぱく)の士、必ず濃艶(のうえん)なる者の疑う所となり、検飾(けんしょく)の人、多く放肆(ほうし)なる者の忌む所となる。君子、これに処し、もとより少しもその操履(そうり)を変ずべからず、または [...]
禍は口より出で 投稿日2021年12月25日
禍自口出病自口入 佐藤一斎/言志録 言語を慎しまざれば、以て禍を招くに足り、飲食を慎しまざれば、以て病を致すに足る。諺に云う、禍は口より出で、病は口より入る。 元々「禍自口 [...]
則ち怨み遠のく 投稿日2021年8月28日
子曰、躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣 子曰、自ら躬(み)を厚くして、而(しか)も人に於いては薄く責むれば、則(すなわ)ち怨み遠のく。 孔子/論語・衛霊公代十五 佐藤一斎は『言志録』の中 [...]
己の欲せざる所は人に施す勿れ 投稿日2021年8月22日
子貢問うて曰、一言にして以て終身これを行なうべき者ありや。子曰、それは恕か、己の欲せざる所は人に施す勿(なか)れ。 弟子の子貢が「一生を通じて為すべきことを一言で表すとどんな言葉でしょうか?」と孔子に [...]
自由と我が儘との境は? 投稿日2021年8月1日
自由と我が儘との境は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にありし 福沢諭吉 ずいぶん以前、同僚と車に乗っていた時、「車の割り込みの定義とは?」という話になりました。色々と議論した末に、相手 [...]
其の長ずる所を説かしむべし 投稿日2021年7月26日
凡(およ)そ人と語るには、須(すべ)らく渠(かれ)をして其の長ずる所を説かしむべし。我に於いて益有り。 佐藤一斎/言志録 人と語り合うには、相手の得意な話をしてもらえば話も弾むし、会話も [...]
人は木石にあらず皆情あり 投稿日2021年7月19日
表題の言葉は単独で語られる事が多いようですが、実は「美女に惑う事を戒める詩」の様で後が続きます。 人は木石にあらず皆情あり。傾城(けいせい)の美女には遇わざるに如かず これ [...]
春風を以って人に接し 投稿日2021年7月18日
春風を以って人に接し、秋霜(しゅうそう)を以って自らを粛す 佐藤一斎/言志後録 こうはなりたいのですが・・・なかなかです。実際にこういう人はそこそこ見かけるのですが、生まれ持ってのものな [...]
賢不肖、人廋す能わず 投稿日2021年7月12日
心の形(あら)わるる所は、尤(もっと)も言と色とに在り。言を察して色を観れば、賢不肖(けんふしょう)、人廋(かく)す能(あた)わず。 人の心が、表に現れるのは言葉と表情である。言葉を察して表情を伺えば [...]
始めて見る時に於いて多くを謬らず 投稿日2021年7月10日
人の賢否は初めて見る時に於て之を相するに、多くを謬(あやま)らず。 人が賢いかそうでないかは、始めて会った時に受けた印象での判断で、ほとんど誤る事はない。 佐藤一斎/言志録 昔は人を見た [...]
懇到切至にして以って之に告ぐ 投稿日2021年7月4日
善を責むるは朋友の道なり。只だ懇到切至(こんとうせつし)にして以って之に告ぐべし。然らずして、徒(いたず)らに口舌に資(と)りて、以て責善の名を博せんとせば、渠(か)れ以て徳とな為さず、卻(かえ)って [...]
人と物争うべからず 投稿日2021年7月2日
人と物争うべからず、人に心をゆるすべからず 豊臣秀吉 上の句だけだと思慮深さを感じるのですが、下の句が秀吉の前半生の苦悩を表しているのかもしれません。これを名言とするかは人それぞれでしょ [...]
心に誤なき時は人を畏れず 投稿日2021年6月19日
心に誤なき時は人を畏(おそ)れず 上杉謙信/家訓十六ヶ条 「自分に誤りがないという信念があれば、人を恐れる心は生じない。」という意味でしょうが、この境地に至るには、まず高く広い視線で物事 [...]
人に於いては薄く責む 投稿日2021年6月13日
自ら責むること厳なる者は、人を責むることも亦(また)厳なり。人を恕すること寛なる者は、自ら恕することも亦寛なり。皆一偏たるを免れず。君子は則ち躬自ら厚うし、そして、人に於いては薄く責む 佐藤一斎/言志 [...]
菜根譚・太だ厳なることなかれ 投稿日2021年6月10日
人の悪を攻むるには太だ厳なることなかれ 人の悪いところ注意する時は、厳しい言動で責めてはいけない。 社会のため、所属する団体のため、本人のため、いろんな理由はあるのでしょうが、相手の反発を招くような [...]
信を人に取ること難し 投稿日2021年5月25日
信を人に取ること難し。人は口を信ぜずして躬(み)を信じ、躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。 人から信頼を得るは難しい事である。他人はその人の発言よりも、行動や振る舞いを信じる。そして、行動や振る舞 [...]
凡そ人を諫めんと欲するには 投稿日2021年5月11日
凡(おおよ)そ人を諫めんと欲するには、唯だ一団の誠意、言に溢るる有るのみ。苟(いやし)くも一忿疾の心を挟まば、諫は決して入らじ。 佐藤一斎/言志録 人を諫めようとする場合は、誠意の心ある [...]
勝先生、容易に胸襟を開かず 投稿日2021年5月6日
先生に従って教を請わんと欲せば、真に先生によりて学ぶの決心なかるべからず。しからずんば、先生は容易にその胸襟(きょうきん)を開かず。ただ放言(ほうげん・無責任に言い散らす事)大語(たいご・大げさなに言 [...]
孝高の説得術 投稿日2020年12月22日
島津氏は肥後、肥前、筑後と各地の国衆を従わせ北上し、大友氏を追い詰めます。また筑前各地の国衆は大友氏と対立していたため、島津氏の北上を歓迎します。秀吉は島津氏征伐のため大軍を九州に上陸させるものの、九 [...]
囲師必闕 投稿日2020年11月26日
1577年11月、秀吉の軍は福原主膳の守る佐用城を攻めます。孝高は夜間に佐用城の三方を囲み、あと一方を空けて攻撃します。城では激しい戦いとなりますが、最終的に城は落ち福原主膳は囲みのない西の裏山へ脱出 [...]
人を謗らずは難しい? 投稿日2018年11月18日
貝原益軒の 大和俗訓 巻之五 言語 には次の通り書かれています。 「人をそしるは、其の人に対せず、かげにてひそかに言ふことなれば、其人知るべからず、何の害かあらんと思ふは愚かなり。そしりは必もれやす [...]
言に匪ずんば言うなかれ 投稿日2018年4月22日
「言に匪(あら)ずんば言うなかれ 由に匪ずんば語るなかれ」 これは高校の漢文または倫理社会で学んだ儒教の基礎となる書物・四書五経のひとつ「詩経」に書かれている言葉です。 「言わなくてよい事は発言しては [...]
咎むべからず。憂うべからず。 投稿日2017年1月26日
貝原益軒は著書「養生訓」に次のような事を記述しています。 「世の中の人の行動が、自分の意にそわなくても、『人とはそんなものだ』と考えて、人の悪いところは、なだめ、許して、咎めてはいけない。そして怒っ [...]