五十歩百歩

塡然(てんぜん)としこれを鼓し、兵刃既に接す、甲を棄て兵を曳き走(に)ぐる。或は百歩にて後に止り、或は五十歩にて後に止る。五十歩を以て、百歩を笑わば則ち何如(いか)に
戦端が開かれ鼓舞する声が響き、刀の打ち合いが始まった時、鎧を捨て武器を曳ずって逃げる者が出ました。一人は百歩逃げて止まり、もう一人は五十歩逃げて止まりました。五十歩逃げた者が百歩逃げてた者を笑ったならどう思われますか?

梁恵王/孟子

 

ある時、梁の恵王は孟子に「私は民に寄り添う政(まつりごと)を行っているのに、我が国の民はなぜ増えないのだろうか?」と問いかけます。これに対して孟子は「王は戦(いくさ)がお好きですから、戦争の話に例えさせてください」と前置きし、続けて話したのが冒頭の言葉になります。
これに恵王は「それは良くない。逃げたことには変わりがないではないか」と答えます。
「それがわかるのであれば、隣国より民が多いことを望まない方がよろしいのでは」と恵王の政が隣国とさほど変わりがないことを伝えました。

ここには書かれてありませんが、話の流れから孟子は戦に積極的な王の行動が国力を減らしている事を暗に伝えたかったのかもしれません。『荘子』に「蝸の左角に触氏、右角に蛮氏」の話がありますが、恵王はここでも戴晋人という人物から戦を始めることを諫められています。
 


塡然・・・戦いが始まる時の太鼓の音。転じて戦端が開かれる事。
恵王・・・戦国時代の魏の三代目。領土拡張のために周辺諸国と頻繁に戦いますが、のちに中国を統一する秦に攻められ都を東に移したために以後は梁王と呼ばれます。『荘子』では魏王、『孟子』では梁王と書かれるのはこのためのようです。恵王は結果的に領土を減らすことになりましたが、これらの逸話より感情的にならずに人の話を聞く姿勢はあったようです。