巌流島の決闘当日
日高まるまで武蔵、寝て起きず。
宿の亭主は起きてこない武蔵を心配して「辰の刻になりましたが・・・」と伝えます。そこへ小倉より催促の飛脚が来ます。
舟渡りの事、時刻引き延ばしこれ無き様に参るべし。小次郎も先刻渡りたり。
武蔵は手水(ちょうず)に行き、朝食をとると、宿の亭主に舟の艪(ろ)を請(こ)います。そしてその艪を削り木刀を作りますが、そうこうしている内にまた飛脚が来て急を告げます。
早々渡るべし。
武蔵は手拭を帯にはさみ小舟に乗り込みます。
漸(ようやく)巳(み)の刻、過に島に到る。
タスキ姿の武蔵は木刀を提(さ)げ素足にて舟より降り浜辺を数十歩進み、帯から手拭を抜き取り鉢巻をします。
小次郎は猩々(しょうじょう)が描かれた真っ赤な袖なし羽織に染草の袴に草履を履き、三尺余りの刀を握りしめます。
甚(はなはだ)待疲れ武蔵が来るを遥に見、憤然(ふんぜんと)して進(すすみ)して水際に立(たち)て云(いう)。「我は期(き)先達(さきだち)て来れり、何(いか)に遅々するや〇(不明)汝後れたり」、武蔵、黙然として答えず、きかざるが如し、小次郎、即、霜刃(そうじん)を抜て鞘(さや)を水中に投(なぐ)。水際にて立て武蔵が近くを迎う時に武蔵、水中に〇(不明)留まりニツコと笑(わらい)て「小次郎、負(やぶれ)たり。勝は何にその鞘を捨し」。
小次郎は待たされた上に詫びも入らず、「小次郎、負たり」の言葉を浴びせられ、唖然とします。
小次郎、益々、怒りて武蔵が相近(あいちかず)くとひとしく真甲(まっこう)に振上、武蔵が眉間を打。武蔵、同く撃ところの木刀、小次郎が頭に中(あた)り立所(たちどころ)に仆(たお)る。初め小次郎が打し太刀の切先(きっさき)、武蔵が鉢巻の結目(むすびめ)に当(あたり)てや手拭分(わかち)て落(おつ)。武蔵、木刀を提げて少(しば)らく立、又、振上て打んとす。小次郎、伏ながら横に拂う。武蔵が袷(あわせ)の裾の縢(かがり)の上に〇(当?不明)たるを三寸斗(と)切さき、又、武蔵が打(うつ)所の木刀、小次郎が脇腹横骨を打折り即(すなわ)ち気絶す。口鼻より血ながれ出づ。
こうして戦いに終止符が打たれますが、このストーリーが創作なのか、聞き伝わったものなのかは、今となっては判断する術がありません。ただ、この『二天記』の記述が、映画やドラマで見る武蔵像を創り上げたのは間違いないようです。
辰の刻・・・午前7時から9時までの時間。ここでは午前7時過ぎ頃
小倉・・・小倉藩。ここでは決闘を見届ける藩の検史の事
手水・・・手洗いの隠語
巳の刻・・・午前9時から11時までの時間。ここでは午前9時過ぎ頃
猩々・・・中国の伝説上の生き物
染草の袴・・・草の原料で染められた袴
期先達・・・約束の時間の前に
霜刃・・・研がれて鋭い刃を持つ刀
真甲・・・真正面。兜の前面の事
袷・・・裏地の付いた着物
裾の縢・・・裾の縫い目