カテゴリー: 黒田家譜

秀吉の手紙

信長より中国の毛利攻めの命を受けた秀吉は姫路に入り […]

善の善なる者也

「知略を好み、人を殺す事を好まず。毎毎和議を以(も […]

相口と不相口

あるとき、如水は長政や諸家老を前に『相口』と『不相 […]

一国一城令

大阪の陣が終わると、幕府は「一国一城令」を発します […]

肥後国衆一揆

1587年5月、秀吉は島津を降伏させ、6月には筑前 […]

島津義久降伏す

秀吉は鹿児島の40㎞ほど北西の泰平寺に入り、先陣の […]

摂津播磨離反す

そなたと我等の間柄は他の者たちより誹りを受けるべき […]

孝高の説得術

島津氏は肥後、肥前、筑後と各地の国衆を従わせ北上し […]

岩屋城の戦い

『黒田家譜』では「岩屋城の戦い」について簡単に触れ […]

囲師必闕

1577年11月、秀吉の軍は福原主膳の守る佐用城を […]

秀吉の手紙

黒田藩には秀吉が孝高に送った手紙が残っていた様で貝 […]

孝高、信長面会

福岡市博物館には『へし切長谷部』という名刀が収蔵さ […]

松壽丸危うし

孝高は信長に面会した翌々年(1577)の秋に、再び […]