秀吉は島津を降すと筑前に戻り、九州の仕置きを行いま […]
『氷川清話』と『海舟座談』
『氷川清話』(講談社学術文庫)は吉本襄(のぼる)が […]
海舟の手切れ指南
維新の頃の話です。とあるお役人が海舟先生を訪ねた際 […]
決して捨つべきものではない
山岡鉄舟は「人にはすべて能不能あり 一概に人を棄て […]
理屈ではわからない
およそ世間の事には、順潮と逆潮とがある。したがって […]
後藤又兵衛の馬取り逐電す
戦国最期の戦い・大阪の陣で華々しく散った後藤又兵衛 […]
自由自在気随気儘だよ
およそ天下に乾児(こぶん)のないものは、恐らくこの […]
肥後国衆一揆
1587年5月、秀吉は島津を降伏させ、6月には筑前 […]
海舟が恐れたもう一人の男
勝海舟は横井小楠と西郷隆盛を恐ろしい人物として挙げ […]
断定するのは好まない
主義といひ、道といつて、必ずこれのみと断定するのは […]
島津義久降伏す
秀吉は鹿児島の40㎞ほど北西の泰平寺に入り、先陣の […]
村重、孝高を禁獄す
孝高は毛利に寝返った小寺政職を再び説得するため御着 […]
摂津播磨離反す
そなたと我等の間柄は他の者たちより誹りを受けるべき […]
備中高松城の水攻め
三木の干殺し、鳥取の渇え殺しと言われる兵糧攻めで三 […]
孝高の説得術
島津氏は肥後、肥前、筑後と各地の国衆を従わせ北上し […]
原田氏の先祖の事
戦国時代には筑前の西部一帯を支配した原田氏ですが、 […]
長宗我部信親の最期
仙石秀久と長宗我部元親は島津氏に攻められる大友氏救 […]
秀吉薩摩に使者を遣わす
秀吉は九州制覇を目指す薩摩の島津義久へ自重を勧める […]
事は密を以って成る?
事は密なるを以って成り、語は泄るるを以って敗る こ […]
本能寺の報、毛利に届く
秀吉の陣に本能寺の報が届いたのは1582年6月4日 […]
岩屋城の戦い
『黒田家譜』では「岩屋城の戦い」について簡単に触れ […]
戦国九州の情勢
貝原益軒は『黒田家譜』に1586年頃の九州の情勢を […]
囲師必闕
1577年11月、秀吉の軍は福原主膳の守る佐用城を […]
秀吉の手紙
黒田藩には秀吉が孝高に送った手紙が残っていた様で貝 […]
孝高、信長面会
福岡市博物館には『へし切長谷部』という名刀が収蔵さ […]
毛利と宇喜多の旗
孝高は毛利と和睦し備中高松城の包囲を解いて京都に引 […]
松壽丸危うし
孝高は信長に面会した翌々年(1577)の秋に、再び […]
異説 賤ヶ岳の七本槍
益軒は『黒田家譜』で賤ヶ岳の七本槍の事を次のように […]
赤松則房の事
赤松則房は、足利尊氏が九州落ちした際に播磨で後醍醐 […]
勝龍寺城攻め
山崎の戦いに敗れた明智軍は勝龍寺城に籠ります。大軍 […]