仙石秀久と長宗我部元親は島津氏に攻められる大友氏救 […]
秀吉薩摩に使者を遣わす
秀吉は九州制覇を目指す薩摩の島津義久へ自重を勧める […]
事は密を以って成る?
事は密なるを以って成り、語は泄るるを以って敗る こ […]
本能寺の報、毛利に届く
秀吉の陣に本能寺の報が届いたのは1582年6月4日 […]
岩屋城の戦い
『黒田家譜』では「岩屋城の戦い」について簡単に触れ […]
戦国九州の情勢
貝原益軒は『黒田家譜』に1586年頃の九州の情勢を […]
囲師必闕
1577年11月、秀吉の軍は福原主膳の守る佐用城を […]
秀吉の手紙
黒田藩には秀吉が孝高に送った手紙が残っていた様で貝 […]
孝高、信長面会
福岡市博物館には『へし切長谷部』という名刀が収蔵さ […]
毛利と宇喜多の旗
孝高は毛利と和睦し備中高松城の包囲を解いて京都に引 […]
松壽丸危うし
孝高は信長に面会した翌々年(1577)の秋に、再び […]
異説 賤ヶ岳の七本槍
益軒は『黒田家譜』で賤ヶ岳の七本槍の事を次のように […]
赤松則房の事
赤松則房は、足利尊氏が九州落ちした際に播磨で後醍醐 […]
勝龍寺城攻め
山崎の戦いに敗れた明智軍は勝龍寺城に籠ります。大軍 […]
本能寺の変を報せた男
本能寺の変は1582年6月2日の午前4時頃、明智光 […]
休松の戦い
織田信長が斎藤氏の稲葉山城を攻略し天下布武の印を使 […]
黒田家譜 孝高
黒田官兵衛孝高は雪の積った日に生まれます。 貝原益 […]
勝海舟の先哲の書を見る詞
勝海舟は「先哲の書を見る詞」という書を書いています […]
政治談義は二の次?
天下の事我が力になし難きことは唯天に任せおくべし […]
龍宮寺の由来
筑前国続風土記 巻之四 で龍宮寺の由来が寺家の言い […]
塔原の由来
筑紫野市塔原東には、むかし十王堂がありその境内に立 […]
楽しみを失なうべからず。
益軒は「養生訓」に次の通り書いています。 楽しまず […]
めし食う時ぐらいは・・・
怒の後、早く食すべからず。食後、怒るべからず。 憂 […]
心は身の主也
心は身の主也、しずかにして安からしむべし。 身は心 […]
皆美を好むべからず
すべての事に完璧を求めると、心のわずらいとなり余裕 […]
野上一閑と三奈木弥平次
大友氏が島津氏に大敗を喫した耳川の戦いから3年、筑 […]
昔は瓢箪で鵜飼?
江戸時代の初期頃までの筑後川の鵜飼漁は船は使わず泳 […]
人を謗らずは難しい?
貝原益軒の 大和俗訓 巻之五 言語 には次の通り書 […]
福岡の一夜城・益富城
島津氏の九州制覇を阻止すべく1587年、豊臣秀吉は […]
俗明院の由来
西鉄朝倉街道駅の南に俗明院という土地がありますが、 […]