海舟座談

『海舟座談』は巌本善治氏が海舟宅に出入りした明治20年8月から、海舟に最後に面談した明治32年1月14日までの約11年を超える歳月で、海舟から聞き取った談話を編集したものになります。ただ明治28年以前に書きとられたものは、自らが校長を務めた明治女学校の火災で一切を類焼してしまったと巌本氏は冒頭に記載しています。これにより『海舟座談』は既に公にしたもの、明治29年9月~明治32年1月までに書き取った内容、及び巌本氏の記憶によって編集されたものになります。
岩波文庫の『新訂海舟座談』では巌本氏の筆記した記事以外に、海舟と関わった人々の史談や思出話などが付録として載せられています。
 

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【「海舟座談」に関する投稿】

サンフランシスコのセクハラ事件 投稿日2024年10月6日
ペリーの黒船来航から約7年、勝は万延元年遣米使節団の補助艦・咸臨丸の艦長としてサンフランシスコに入港します。 長旅を終えた咸臨丸は損傷がひどく修理が必要となりますが、その間、乗員は町に上陸し散策を楽し [...]

海舟の読書の勧め 投稿日2023年7月26日
海舟曰く「若い時は本が嫌いで手紙でも書きはしなかった。もと剣術遣いの方だからネ。四年ほど押し込められてる時に、隙(ひま)でしょうがないから読書したのサ。朝は西洋サ。昼は漢書。夜は日本の雑書でたいてい読 [...]

七年一変の説 投稿日2023年4月30日
ワシはもと西洋人の言うた七年一変の説ネ。アレを信じているのだ。どうも七、八年ないし十年にして人心が一変するよ。 「新訂海舟座談」より   ずいぶん以前、講師の先生からコンピュータ業界は7 [...]

勝先生は殺生を好まず 投稿日2023年4月29日
害をしない鳥が自分の山で面白く遊んでいるのをむやみにぶち殺して、何がおもしろいのだエ、こっちは長崎で銃猟に誘われて出たが、いつでもねらいをはずして、一羽もころしたことはなかったヨ。   また [...]

勝と伊藤博文 投稿日2023年4月13日
岩波文庫『新訂海舟座談』の付録には勝の使用人・森田米子女史の回顧録が載せられています。 伊藤さんは、始めチョイチョイお出でしたが、何でしたか、中ゴロから、フイと疎遠におなりでした。それで、伊藤サン [...]

通俗偏・用いては疑うなかれ 投稿日2021年5月27日
疑わば用うるなかれ、用いては疑うなかれ (疑うのであればその人を登用してはいけない。登用したのであれば信じてまかせる事だ。) これは清の時代に書かれた『通俗偏』にある言葉です。   『海舟座 [...]

『海舟座談』の疑問解消!! 投稿日2021年5月23日
『海舟座談』の著者・巌本善治氏が海舟宅に出入りしたのは、明治20年8月から、海舟に最後に面談した明治32年1月14日までの約11年を超える期間になります。しかし、『海舟座談』には明治28年7月~明治3 [...]

勝先生、容易に胸襟を開かず 投稿日2021年5月6日
先生に従って教を請わんと欲せば、真に先生によりて学ぶの決心なかるべからず。しからずんば、先生は容易にその胸襟(きょうきん)を開かず。ただ放言(ほうげん・無責任に言い散らす事)大語(たいご・大げさなに言 [...]

海舟と龍馬 投稿日2021年4月18日
1864年(元治元年)、海舟は四カ国艦隊の下関攻撃を思いとどまらせる交渉のため長崎に出張します。この時、供についたのが坂本龍馬と高木三郎になります。一行は筑後町(現在のJR長崎駅の東側)の福済寺に入り [...]

勝の二宮尊徳評 投稿日2021年4月17日
勝海舟は若き頃、二宮尊徳に一度だけ面会した事があるようで「至って正直な人」という印象を持ったようです。また、人にも会いに行くように勧めたと語っています。   二宮尊徳は神奈川県小田原市栢山( [...]

芥舟の海舟評 投稿日2021年4月5日
古今の英傑は、時には策略を用います。最近で言えば、運動とかいう事で、極めて秘密に策を巡らし、あるいは利をもって誘い、反対の人を味方に引き入れるような小細工をする事がございます。この様な小細工は一時的に [...]

明六社メンバーがドン引き 投稿日2021年4月4日
杉亨二(日本近代統計の祖であり、元勝海舟塾塾頭)は明六社の主要メンバー等と海舟を招待しようと打合せ、上野・精養軒に集います。杉、福沢諭吉、森有礼の他、数名のメンバーがホントに勝が来るのだろうかと話して [...]

パークスは悪い奴じゃない 投稿日2021年3月27日
勝塾の塾頭・杉亨二がパークスの傲慢さを述べると、勝はそれを否定します。   「横浜のパークスを訪ねると、こっちは敗北同然だから、軽蔑しての事か、会おうとしない。そこで事情を説明して面会を促す [...]

公私相半ばすれば 投稿日2021年3月4日
人は、公私相半ばすれば、大変なものだ。釈迦や、基督のような人は公ばかりだろうが、そのほかの人は、なかなか公ばかりということは出来ぬ。公私相半ばすれば、よほどの人だ。これをこうゆう都合にといってすれば、 [...]

海舟は性善説?性悪説? 投稿日2021年3月2日
『新訂海舟座談』で海舟は性善説、性悪説に言及しています。   孟子は、性善といい、荀子は性悪といったが、性善でもなく、性悪でもないようだが、先ず、どッちかと言うと、悪い方が多いようだ。 &n [...]

『氷川清話』と『海舟座談』 投稿日2021年2月11日
『氷川清話』(講談社学術文庫)は吉本襄(のぼる)が海舟に関する記事を収集し編集した『海舟先生氷川清話』を検証再編集した談話集。 『新訂海舟座談』(岩波文庫)は海舟宅に出入りしていた巌本善治が海舟から直 [...]

海舟の手切れ指南 投稿日2021年1月25日
維新の頃の話です。とあるお役人が海舟先生を訪ねた際、雑談ついでに「愛人が飲み代を立て替えてくれるのです」とのろけます。   それからしばらくして、そのお役人が再び先生の元を訪れ、別れ話で先の [...]

自由自在気随気儘だよ 投稿日2021年1月20日
およそ天下に乾児(こぶん)のないものは、恐らくこの勝安芳一人だらうよ。それだから、おれは、起きようが寝ようが、喋らうが、黙らうが、自由自在気随気儘だよ。 海舟は氷川清話(講談社学術文庫)でこのように [...]

海舟が恐れたもう一人の男 投稿日2021年1月17日
勝海舟は横井小楠と西郷隆盛を恐ろしい人物として挙げていますが、別の意味で恐れたもう一人の男として河上彦斎を挙げています。 河上彦斎は幕末の人斬りで知られる人物で、幕末から維新にかけて結構な人を斬った [...]

勝海舟の先哲の書を見る詞 投稿日2020年7月25日
勝海舟は「先哲の書を見る詞」という書を書いています。   前略・・・ 傑出の輩少なからず。あるいは経綸の才識を具備せし者、あるいは高踏超凡なる者、あるいは往昔の古調を修むる者、あるいはイン [...]

勝海舟の最期 投稿日2020年5月17日
大寒に入るの前一日、天気晴朗なり。この日、海舟先生、意気殊(こと)に爽然として、諧謔百出す。午前、入って浴して後、微(すこ)しく異常あり。少(しば)らくして、胸頭激痛を起こし、悪汗流れ発す。命じてこれ [...]