塩原の由来

貝原益軒の『筑前國続風土記 巻之六 那珂郡 下』の塩煮塚の項には福岡市南区塩原の由来が書かれています。
 
鹽(塩)原の境内にして、三宅村の北にあり。いにしえはここ辺まで潮来り鹽を焼し所あるゆへ、潮煮塚と名付くと云。鹽原と云も、これに依ての名なりと云。
 
そして話は意外な方向へ向かいます。
 
またこの辺にも暗夜には折々飛火あり。遠く見ればその大さ大続松(たいまつ)ほどあり。近づけばほそく色青くなる。その飛ぶ事、高さ二三間許(ばかり)、時によりて遅速あり。早き時は矢の如し。蓑島、鹽原、住吉、比恵、高宮、野間、この数村の間を飛廻り、人近づけばたちまち消て、また遠く見ゆ。或は二三にわかれて飛事あり。
 
この飛火の事は、大休(附鬼火)、山王権現社の項にも記載されています。