人を謗らずは難しい?

貝原益軒の 大和俗訓 巻之五 言語 には次の通り書かれています。

「人をそしるは、其の人に対せず、かげにてひそかに言ふことなれば、其人知るべからず、何の害かあらんと思ふは愚かなり。そしりは必もれやすし。俗語に、悪事千里を行くといひ、又壁に耳ありと云ふが如し。人の知らんことをおそれば、言ふべからず。孟子に、人の不善をいふは、後の患をいかんすべきといへり」
(「人の悪口は陰で言うので、相手に知られることもなく、自分にはなんの害も及ばない」と思うのは愚かなことである。悪口は漏れ易いものである。俗に「悪事千里を行く」といい、また「壁に耳あり」といもいう。相手に知れるのを恐れるのであれば、悪口は言うべきでない。孟子も「人の悪口をいうことは、あとあとの禍を抱えることになる」といっている)

随分、以前に意にそぐわないことがあると上司同僚は元より守衛のおじさん、社食や掃除のおばちゃん、部外者の運送便のドライバーさんにまで徹底して悪口をいいまわる人がいましたが、「後の患をいかんすべき」今頃どうされているのか心配です。
オッ!と気づけば、この文章も過去の人を謗ってる?やはり人を謗らずは難しい?