麻生家信の事

筑前国続風土記の古城古戦場三「内藤陣山」には現在の北九州市一帯に勢力を張った麻生氏の嫡男・麻生家信の事が次の通り書かれています。
 
或る時、秘蔵の名馬、絆綱(はなずな)をはり切、城中より敵陣に駆入むとす。家信此由(このよし)を見、自身走り出、荒馬に追付・・・
 
この頃、家信は腹違いの弟・弘家との間に相続争いが起こっており、弘家を押す長門周防の大勢力・大内氏から攻められていました。ここに記す話は家信の花尾城籠城が三年に及んだ時期の出来事になります。
 
愛馬に追い付いた家信は
左の手にて馬の尾を手に巻、右手に一尺八寸の脇指(わきざし)をぬき持ち、もし我を引立て、敵陣に行ならば、突殺すべきと思い、城中に跡しさりに引上れば、坂の上迄終に引上、城中に荒馬の尾をとらへ引込めける。
 
家信は城中から逃げ出した愛馬を追いかけ、尾を捉え城中に引き戻したという凄い話なのですが、敵方の方へ逃げ出した愛馬を許しきれず、終いにこの馬を殺してしまったようです。馬にとっては手綱が切れてただ逃げ出しただけの話でチョット可哀そうな気がします。
 
ただ、この様子を見ていた大内氏の将兵は
此城には鬼神が住けるにや。・・・・・人にてはあらじとて、陣中こぞりて恐れける。
と家信に恐れをなしたことが記されています。