小倉碑文

『小倉碑文』は武蔵の死去から9年後に養子・宮本伊織の手で建立された顕彰碑に刻まれる文になり、その文章は漢文で記されています。
 

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【「小倉碑文」に関する投稿】

小倉碑文原文 投稿日2021年7月12日
以下、宮本武蔵の碑の傍らに置かれている北九州市教育委員会の案内板からの転載です。   天仰 実相 円満 兵法 逝去 不絶 碑文(文中の異字・異体字等は常用漢字に改めた) 兵法天下無双 [...]

天仰実相円満之兵法逝去不絶 投稿日2021年7月5日
肥後において逝去する際、自書の「天仰実相円満之兵法逝去不絶」の文字を遺像とせよと遺言する。よって孝子は碑を建て後世に永く伝える事とする。 宮本伊織/小倉碑文   武蔵は1645年5月19日に [...]

礼、楽、射、御、書、数、文に通じざる事なし 投稿日2021年7月1日
兵法のみならず、礼、楽、射、御、書、数、文に通じざる事なし 宮本伊織/小倉碑文   武蔵は多才であったようで、礼儀作法、音楽、弓、乗馬、書、算術、文筆などに通じていたようです。書で言えば『枯 [...]

巌流島の戦い・小倉碑文 投稿日2021年6月27日
ここに兵術の達人・岩流と言う者がおり、武蔵に雌雄を決する事を求めた。岩流は真剣勝負を求めたが、武蔵はこれに対し「あなたは白刃を揮(ふる)って妙技を尽くせばよい。私は木刀を以て秘術を顕わそう」と硬い約束 [...]

武蔵、吉岡一門と乱闘 投稿日2021年6月24日
吉岡の門下生は相談して「兵術ではかなわない。策をめぐらして武蔵を撃つ」と吉岡亦七郎は決闘という名目で洛外の下松にて待ち合わす。しかしそこには彼の門下生数百人が兵杖や弓を以って武蔵を倒そうと待ち構える。 [...]

武蔵、伝七郎と雌雄を決する 投稿日2021年6月23日
吉岡伝七郎と洛外にて再び雌雄を決する。伝七郎は袖に五尺ほどの木刀を持参したが、武蔵は期を見て彼の木刀を奪いこれを撃つ、伝七郎は地に倒れて死んだ。 宮本伊織/小倉碑文   これが、吉岡一門との [...]

武蔵、吉岡家に試合を請う 投稿日2021年6月22日
のちに京都に到り、扶桑(日本)第一兵術家・吉岡家に試合を請う。 吉岡家の嗣・清十郎と洛外の蓮台野にて竜虎の威を争うも、木刀の一撃で清十郎は眼前に倒れ伏し勝敗を決する。一撃勝負の約束があったため門下生が [...]

武蔵、有馬喜兵衛を破る 投稿日2021年6月15日
兵術を悟り、勇功を身に着け、歳13で播州にて新当流の有馬喜兵衛と雌雄を決し勝利を得る。   『小倉碑文』には、宮本武蔵の最初の決闘がこの様に刻まれています。 そして   16歳春に [...]

養由もこれを超ゆる事なし 投稿日2021年6月13日
真剣を飛ばし、または木戟を投げ、逃げる者、走る者でもこれを回避することはできない。その勢いはあたかも強弩を発するかのようであり、また百発百中である。かの養由もこれを超えることはない。(現代語訳) 宮 [...]

武蔵の父・新免無二 投稿日2021年6月10日
『小倉碑文』には武蔵の父親の事が次の通り書かれています。   父親は新免無二と号し、十手の術家であった。(現代語訳)   武蔵も家を継ぎ、十手の技を磨きますが、ある日、二刀で十手の [...]