女大学

この本については、現代ではなかなか語り辛いところなので、 内容を知りたい方はネットでそのまま『女大学』でググってみてください。 福沢諭吉先生は『新女大学(女大学評論)』という論を書いて、『女大学』を批判しているようです。
ところで、この本は益軒先生の没後2年経って刊行されています。この刊行 自体が先生の意思なのかどうか不明なのです。 もし先生はこの本を「門外不出」と考えていたのであれば、先生自身がたいへん困惑しているのかもしれません。
 
追記
『女大学』にさらりと目を通したのですが、この書はどうも益軒先生の著作ではないようです。ウィキペディアにも書かれているとおり、先生の著作から抜粋し、それに編者の個人的な意見を先生の意見として追加編集した書なのかもしれません。また確実に男性目線でかかれたもので、東軒婦人の著作の可能性もまずないものと思われます。
参考:「女大学」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。URL: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%A4%A7%E5%AD%A6
 
追記2
『女大学』に関する記事を数件かいてみたのですが、この書は『和俗童子訓 巻之五 教女子法』を再編したものようで、おおまか貝原先生の思うところに違いないようです。諭吉先生のいう通り現代では的外れな部分も多くありますが、戦国時代の直後の時代に生きた人物である事を思えば弁護すべき点もあるような気もします。特に『女大学』は我が娘に対する嫁ぎ先での処世術を教えるものであるとの観点をとれば、なるほどと思われる部分もまた多くあります。諭吉先生も『女大学評論』の末項で「我輩は固(もと)より記者(益軒先生)の誠意を非難するには非(あら)ざれども女子学(女大学)の著述以後二百余年の今日に於て人智の進歩時勢の変遷を視察し既往(きおう)の事実に徴して将来の幸福を求めんとするときは如何にしても古人の説に服従するを得ず敢(あえ)て反対を試みる所以(ゆえん)なり。」と書き、益軒先生への攻撃が冒頭に比べてトーンダウンしているのが伺えます。
また『女大学』が東軒婦人の著述の可能性が取りざたされるのは、『女大学』の元となった『和俗童子訓』が女性的な草書体系の活字で印刷されいるのが理由なのかもしれません。

 
 

以下に「女大学」を参照できるページへリンクを貼っています。

参考に福沢諭吉の「新女大学(女大学評論)」のリンク先も記載します。

「女大学」との内容比較のため「和俗童子訓 巻之五」のリンク先も記載します。

 
 
【「女大学」に関する投稿】

女大学と女大学評論 その⑤ 投稿日2023年12月17日
『女大学』 右の條々稚時(いとけなとき)能(よ)く訓(おしふ)べし又書付て折々読しめ忘ることなからしめよ、今の代(よ)の人、女子に衣服道具抔(など)多く與(あた)へて婚姻せしむるよりも此(この)條々を [...]

女大学と女大学評論 その④ 投稿日2023年12月16日
『女大学』 巫覡(みこかんなぎ)などの事に迷て神佛を汚し近付(ちかづき)猥(みだり)に祈べからず。只人間の勤を能(よく)する時は祷(いの)らず迚(とて)も神佛は守り給ふべし。   『女大学評 [...]

女大学と女大学評論 その③ 投稿日2023年12月10日
『女大学』 嫉妬の心努々(ゆめゆめ)発(おこ)すべからず。男淫乱なれば諫(いさむ)べし、怒恨べからず。妬甚(はなはだ)しければその気色(けしき)言葉も恐しく、冷(さま)して却(かえっ)て夫に疎(うとま [...]

女大学と女大学評論 その② 投稿日2023年12月3日
『女大学』 言葉を慎みて多すべからず、仮にも人を謗(そし)り偽を言べからず。人の謗りを聞ことあらば心に納(おさめ)て人に伝え語べからず。謗を言伝ふるより親類とも間(なか)悪敷(あしく)なり家の内(うち [...]

女大学と女大学評論 その① 投稿日2023年11月26日
『女大学』 女は容姿よりも心の優れる方がよいとすべきである。心のない美女は起伏が激しく、目つきも鋭く見えて、人に怒り、言葉にも気配りのない口利きをし、進んで恨み妬み我を誇り、人を謗(そし)り笑って、勝 [...]