勝の横井小楠評

勝は第二次長州征討で長州との停戦交渉のため広島に向かいますが、この際、横井小楠に手紙で意見を求めます。
 
かれは、ひと通り自己の見込みを申し送り、なお、「これは今日の事で、明日の事は余の知るところにあらず」という断言を添えた。
 
勝は、この手紙を読んで、はじめは横井小楠ほどの人物がもう少し詳細な意見がないものかと感じますが、よくよく考えてみると横井の見識に気が付いたといいます。
 
世の中の事は時々刻々転変窮(きわ)まりなきもので、機来りて、機去り、その間、実に髪を容れずだ。この活動世界に応ずるに死んだ理屈をもってしては、とても追ひ付くわけではない。 ・・・中略・・・ たいていの人は小楠をとりとめの無い事を言ふ人だ、といって居た。しかし小楠はとても尋常の物尺(ものさし)では分らない人物だ。しかし実際、物のよく分つて、途方もない聡明な人だったよ。
 
続けて
 
小楠といふ男は、元来物に凝滞(ぎょうたい)せぬ人であつた。それゆゑ一個の定見といふものはなかったけれど、機に臨み変に応じて物事を処置するだけの余裕があつた。
 
このように横井小楠を評し、次にような逸話を挙げています。
 
失敗した者が来て、善後策を尋ねると、その失敗を利用して、これを都合のよい方に遷(かい)らせることが常であつた。
 

講談社学術文庫『氷川清話』より


凝滞・・・停滞すること、ものの流れが止まること