蝸牛の角上

蝸牛(かぎゅう、かたつむり)に関する三つの言葉を集めてみました。意味はほぼ同じで、「狭い世界で競い合うことの無意味さ」を語る言葉のようです。
荘子は戦国時代の老荘思想の大家、白楽天は唐の詩人で李白や杜甫の僅かに後の世代の人になります。洪自誠は明の思想家で著書の『菜根譚』は儒教、道教、仏教の考えを色濃く受けています。ここで挙げた三つの言葉は近い時代から古い時代の順に並べていますが、洪自誠は白楽天を白楽天は荘子の言葉を参考にしたものと思われます。
 
石火光中に長を争い短を競う、幾何(いくばく)の光陰ぞ。蝸牛の角上に雌を比べ雄を論ず。世界は巨大なり
火打石の火花の長短を争うのはどういうことだ、一瞬の光陰ではないか。蝸の角のような狭いところで、美しさや腕力を競い合う事に意味はあるのか。世界は巨大なものだ

菜根譚/洪自誠

 


蝸牛の角上に何事をか争う、石火光中にこの身を寄す。富に随い、貧に随いて且(しばら)く歓楽す。口を開きて笑わざるはこれ癡人(ちじん)なり
蝸の角のような狭い所で何にを争うというのだ、火打石の火花が光る一瞬の時にこの身を置く、富める時も貧する時も、しばし楽しもう、口を開いて笑わないのは愚者である

対酒/白楽天

 


蝸の左角に国する者有り、触氏という。蝸の右角に国する者有り、蛮氏という。時にあいともに地を争いて戦い、伏尸(ふくし)数万、北(に)ぐるを逐(お)うこと旬有五日(じゅんゆうごじつ)にして後に反(かえ)る
蝸の左角に触氏の国があり、右角には蛮氏の国がありました。ある時お互いに領地を広げるために戦い、死者数万を出し、追ったり追われたりを数日間繰り返し、やっと国に帰ったという事です。

則陽編/荘子

 
これは、戦国時代・魏の恵王が斉との戦争を始めようとしたため、戴晋人という人物が、その愚行を止めさせるため、恵王に語った話になります。この頃の魏は趙、斉、楚、韓、秦などと国境を接し争いが絶えない状況でしたが、この事もあって恵王は結構な好戦的な王だったようです。しかし、聞く耳はあったようで、戴晋人のこの話を聞いてこの戦争は止めにしたと言うことです。
 


旬有五日・・・旬とは月を初旬、中旬、下旬の三期に分けた単位で10日間の事。触氏と蛮氏は5日間相手を追い、5日間追われ、計10日間に渡って戦ったという意のようです。