金銀も土石のごとく思うなり

我今の生涯は、一身の安楽より外、何の望もこれなし。金銀も用なければ、土石のごとくおもふなり。又人に用られ、誉を得んと思ふ心もなし。奇麗なる家作、衣服等も無用なり。朝夕の食美味を用ゆべからず。只飢ゑず寒からずして、身を養ひ、心を楽しむべし
 
関ケ原の戦いが終わると、如水は長政にこのように語り隠居生活に入ります。その生活について益軒は『黒田家譜』で次のように書いています。
 
質朴な屋作なり。如水の召仕はるる者、知行とらざる士四五人、内室の傍(かたわら)に侍(はべ)る女五六人、其外奴婢少々有之(これ)までなり。すべて隠居に召つかはれし人数甚(はなはだ)少なし。近所に出給ふ時は、士一人に刀をもたせ、草履取一人召つれられ、此外(このほか)には従者をもつれ給はず。凡(みな)其身に俸ずる事甚薄く、常に倹約にして、華美を嫌ひ給ひし事、皆此類(たぐい)なり。
 
この倹約について如水は吝嗇(りんしょく)家だと評する人もいたようですが、益軒はこの評について次のように書いています。
 
無用の費(ひ)を省きて、有用の時、財ををしまずして、厚く人にほどこすは倹約の徳なり、財を惜みて人にうすきは、倹約にあらずして吝嗇なり。如水をしらずして、吝嗇なりといへるは、此理をしらざる人の議論なるべし。