巧詐(こうさ)は拙誠(せっせい)に如かず
巧にごまかして上手に振る舞う生き方は、つたなくても誠実な生き方にはとても及ばない
韓非は荀子の元で儒を学び、母国・韓に戻りますが、韓で登用される事はなかったため著述に励みます。しかし大国の秦が韓を攻めると、韓王は韓非を秦に送り交渉の任に当たらせます。秦王の政(せい・秦の始皇帝)は韓非の著作を愛読しており、韓非の才を買っていましたが、宰相の李斯(りし)の讒言もあり、韓非は韓に戻る事も許されず、牢獄へ送られます。そこで韓非は李斯から送られた毒をあおって自死を選ぶ事になります。
韓非は荀子の性悪説に影響を受けたのか、国を司るためには法を定めて厳しく律する事を唱えています。また、仁、徳により国を統治しようと考える儒家を否定する立場をとっています。この様な韓非の考え方からすると、冒頭の言葉は珍しいものなのかもしれません。