古城古戦場 背振山

『筑前國続風土記』古城古戦場五 背振山 には次の通り書かれています。
 
南朝記にいわく、南朝天授元年(1375年)三月、探題今川了俊、大内茂弘、筑前背振山に陣す。菊池肥前守松浦黨(ともがら)以下これを攻む。今川方奥山、井伊、笠原ら討死す。然れども菊池松浦打ち負け、陣を去る。
 
この前年に今川了俊は大宰府を奪還しており、同年の11月には菊池武光が高良山の攻防の傷がもとで戦死します。そして二年後に了俊は菊池氏を追って肥後に入る事になります。
 
戦死した武将の中に「笠原」とありますが、これはおそらく小笠原氏の事だと思われます。


私事ですが、親族間で祖先は今川了俊に付き従った武将という言い伝えがあり、ここにその名前があったので記事を記載しました。以前勤務先でこの事を話したら「エ~ッ、武士の子孫ですか~?」とちょっとイケてる女子社員から失笑された事がありました。