後藤又兵衛の馬取り逐電す

戦国最期の戦い・大阪の陣で華々しく散った後藤又兵衛は、若き頃、秀吉の島津攻めに孝高の部下として従います。そして日向、耳川付近での一騎討。馬上の組合で川に落ち、上になり下になりの取っ組み合いとなりますが、島津の将の思わぬ怪力で終いに又兵衛は組み伏せられます。その危ういところを救ったのが又兵衛の馬取り、島津の将に体当たり跳ね飛ばし倒れたところを、素早く又兵衛が打ち取ります。
 
又兵衛は馬取に命を助けらるるのみならず、敵を討ちて高名しければ、帰陣の後は彼(かの)馬取を一廉(ひとかど)取立んと思ひける處(ところ)に、下﨟(げろう)は心拙(つたな)くて、其陣中にて、又兵衛が刀脇差を盗取て逐電しける。
 
この様に『黒田家譜』で益軒は「下﨟(身分が低い者)は心拙く(未熟)て」と書いています。しかし、この馬取りの逐電は又兵衛に恩を売り過ぎて疎まれたのか、もしくは「脇差一本のために命を賭ける仕事はまっぴらゴメンだ」と考えたのか、何らかの理由があったものと想像されます。