福岡県大野城市乙金は「おとがな」が正式の呼称のようですが、ただ実際は「おとがね」と呼ばれるのが一般的のようです。福岡人の仲間内の会話では「おとがね」で統一されると認識しています。また乙金周辺でも企業名や建物名はほぼ「おとがね」としているようです。
ところで貝原益軒の『筑前続風土記』にはその由来が次の通り記載されています。
むかしは弟鐘とかけり。相伝て云う、むかし唐土より日本に三の鐘渡れり。最後に渡りし鐘を弟鐘と云。鐘のわたりし次第を以て名付たり。初めは四王寺山に在(あり)しが、兵乱の時此(この)辺に埋し故、弟鐘村と名づく。今はあやまりて乙金と称す。
『筑前続風土記』に書かれる兵乱がいつの頃かは分かりませんが、この記述が正しいのであれば、もしかしたらこの辺りに国宝レベルの鐘が、今も埋もれているのかもしれません。