宝石で雀を撃つが如し

益軒は「養生訓」で次の通り語っています。
「宝石を礫(つぶて・石ころ)として雀を撃たば、愚なりとて、人必ず笑はん。・・・中略・・・かろき小なる欲を貪りて身を損なうは、軽重を知らずというべし。」
これは欲に任せて酒色を貪る行為は体に良くない事を指摘しているのですが、これは物欲にも言える事かもしれません。

 

落語で近くの鰻屋のうなぎを焼く煙をオカズに飯を喰う男の噺がありますが、これは吝嗇の中でも可愛げがある方です。
「定吉、隣からカナ槌を借りてきておくれ」
「へい!行って参ります。」
定吉は隣に行き、しばらくして戻って参ります。
「カナ槌はどうした?」
「いえ、隣の旦那は『打つのは木か鉄か?』と聞かれます。」
「それで・・・」
「『鉄を打つのなら磨り減るから貸せねえ!』と・・・」
「なんだ、隣の親父はケチな野郎だ!しょうがねえ、家(うち)のを出して来い!」

人に迷惑を掛ける吝嗇というのはどうも頂けません。この噺が笑えるのは定吉の主人自身が自分のそれに気付いていないところかもしれません。私自身も気風のよい方ではないので、よくよく気を付けなければ・・・。僅かばかりの金銭や体面のために自身の人間性を磨り減らす行為も「軽重を知らず」と言ったところなのかもしれません。