サンフランシスコのセクハラ事件

ペリーの黒船来航から約7年、勝は万延元年遣米使節団の補助艦・咸臨丸の艦長としてサンフランシスコに入港します。
長旅を終えた咸臨丸は損傷がひどく修理が必要となりますが、その間、乗員は町に上陸し散策を楽しみます。
その数日後、サンフランシスコの裁判所より咸臨丸の艦長と会いたいと使いが来ます。勝は何事が起ったかと裁判所に出向くと、複数の裁判官が堅苦しい表情で待っていました。
「何用でしょうか?」と勝が尋ねると裁判官は一枚の浮世絵を差し出し
「この絵はあなたの艦の水夫が町なかである婦人に無理に渡したものだそうです。その無礼について夫人の夫より訴えがあったものですから」
勝がその浮世絵を確認するとそれは春画といわれるもので、水夫の行いは現在のセクシャルハラスメントに値するものでした。
「そうでしたか、それは私の取締りが足りなかったようで申し訳ありません。艦に帰り取締りを徹底いたします。」
裁判官は「あなたがそうおっしゃるのであれば、それはそれで済みますので・・・」といい公用は終了しますが、裁判官たちは異国のサムライと未知の文化に興味を感じていたのか、別席で勝にご馳走を振る舞い、親しく話しかけます。そして話題は問題の浮世絵へと向かいます。
「これは内々ですが、先ほどの画(え)は非常に興味深いものです。差し支えなければ私に一枚いただけないものでしょうか?」
他に二、三人の裁判官も同席していましたが、「わたしも、わたしも」となったので勝は
「お安い御用です。艦に戻って集めてお届けします。とりあえずこれを一枚。」と先刻つき返された浮世絵を差し出しました。
 
このように勝はサンフランシスコの思い出を回顧し次のように語っています。
「これを取締って、恥ずかしいと思わせるのは、教えだ。自然にはそのような事を構うものじゃない。」
この言葉より、おそらく勝は当事者の水夫には一言あったのでしょが、全体的な厳しい取り調べは必要ないと考えたと思われます。