最近、つくづく説教とは大変だと思います。幸か不幸か仕事では説教などできる立場になったことはありませんが、身内にはヤッパリ必要で、やらざるを得ない場面が度々起こります。説教とは後進を良き方に導くために行なうものだと判ってはいるのですが、どうも価値観が違うところに説教しても犬に論語に馬耳東風、暖簾に腕押し、石に灸、意味がないどころか逆効果なのでしょうか。説教する方にも多少の人間性と威というものが備わっていなければならないのかもしれません。
もう止めようとも考えるのですが、責任からは逃れられず再挑戦。しかし、馬の耳に念仏、牛に経文、豆腐に鎹、糠に釘、非常にもどかしい思いで二階から目薬といったところでしょうか?
イギリスの経済学者のジョン・メイナード・ケインズは