佐々木小次郎の経歴

二天記には巌流の事が次のとおり簡単に記載されています。
 
巌流小次郎と云う剣客あり、越前宇坂庄浄教寺村の産れなり。天資、豪宕(ごうとう)壮健、類なし、同国の住(人)、冨田勢源が家人と成りて幼少より稽古を見覚え、長となるに及びて勢源が打太刀を勉(つと)む。勢源は一尺五寸の小太刀を以って三尺余の太刀に対して勝負をなす。小次郎常に太刀を持して勢源が短刀に対して粗能あり。猶(なお)鍛錬して勝利を弁ずるに高弟各、小次郎が太刀先に及ぶ者なし、於いて是に勢源肉(内?)弟、治部衛門と勝負を決し之に勝つ。依りて勢源が本(もと)を欠落して自ら一流を立て岩流と号す。其法術尤竒く(意味不明。その法術もっとも珍しくの意?)諸国を経回(けいかい)し、名高き兵法者に会し数度の勝負を決するに勝利を失はず。かくて豊前小倉に至る。

豊田景英/二天記

 


越前宇坂庄浄教寺村 ・・・ 福井県福井市浄教寺町。戦国時代は朝倉氏の居城・一乗谷城の城下。
豪宕 ・・・ 豪快、豪放なさま
長となるに及びて ・・・ 成長して
打太刀を勉む ・・・ 太刀筋を学ぶ
粗能あり ・・・ 「粗削りではあるが才能の片鱗を現した」という意
勝利を弁ずる ・・・ 「剣術の評価をするに」という意
経回 ・・・ 巡り歩く