孝高、信長面会

福岡市博物館には『へし切長谷部』という名刀が収蔵されています。
この刀は織田信長が黒田孝高に賜ったものだとされています。
 
時は1575年。孝高は「毛利に付くか織田に付くか」で揺れる主家・小寺家の方針を織田に付くことに固めさせ、岐阜の信長の元に向かいます。
木下藤吉郎の仲介で信長に面会した孝高は播州の情勢を説明し、毛利と戦うためには先ずは播州へ配下の大将を派遣する必要性を説きます。織田の軍が播州へ入れば、織田家になびく勢力がある事を述べ、まずは毛利派の三木城の別所氏を攻め、次に佐用城の福原氏、上月城の上月氏を攻める事を勧めます。
信長はこの進言に感じ入り、藤吉郎を播州へ遣わす事を約束します。
 
「我中国を討たば、必ず汝を以って先手とせん。毛利家を退治するに、若事(もしものこと)難儀に及ばば、我自ら馬を出すべし。」
 
と自らの出馬の可能性を伝えます。
そして面会の終わりに
 
「御太刀一腰賜りて御暇を下され、姫路に帰し給う」
 
と『黒田家譜』には書かれています。この時の太刀が冒頭の国宝『へし切長谷部』になります。