益軒は損軒だった!

-益軒先生の号について-
益軒先生は若き頃に藩主・黒田忠之より怒りを買い、浪人生活を送ります。 数年後に許され帰藩しそれから44年間、黒田藩に仕え「黒田家譜」を著し、また藩内の教育や施政に携わりますが、その間の号はなんと「損軒」だったというのです。 何故にして「損軒」なのか、その理由は残念ながら伝わっていないようです。
そして引退した先生は「益軒」と改め、「筑前国続風土記」を脱稿し四代藩主・黒田綱政に献上、本格的な執筆活動に入り「大和本草」、「和俗童子訓(わぞくどうじくん)」、「養生訓」 をはじめとする数多くの著作物を残すことになります。
ちなみに、益軒先生の甥・貝原好古(かいばらよしふる)は「恥軒(ちけん)」という号で「日本歳時記」を記述しています。著作類からして貝原家は厳格な一族というイメージ強いのですが、極僅かではありますが遊び心が号や文章から垣間見えるのが、微妙に面白く感じられます。