杉亨二(日本近代統計の祖であり、元勝海舟塾塾頭)は明六社の主要メンバー等と海舟を招待しようと打合せ、上野・精養軒に集います。杉、福沢諭吉、森有礼の他、数名のメンバーがホントに勝が来るのだろうかと話しているうちに、勝は蝙蝠傘を杖いて、尻を端折ってやって来ました。
皆が何の話をするのだろうかと思っていたら
「おれに、軍艦三艘貸さないか、大儲けして来る」
皆は驚き「先生なにになされますか?」と問います。
「日本が貧乏になったから、シナに強盗に行こうと思う。向うから、やかましく言って来たら、あんな気狂いには構うなといってやればよい。ねえ、福沢さん、儲けたら、チット上げます。」
これには各界で名声を上げた明六社の人々もドン引きしたという事です。
明六社は、江戸期から蘭学、洋学を学んだ人々が集まって開化啓蒙を目的に結成された団体です。活動期間は明治6年~8年なので、勝が五十代前半の頃の事になります。(岩波文庫『新訂海舟座談』より)