益軒年表


1630年( 1才) 福岡城内に生まれる。

1638年( 8才) 父・貝原寛斎に従い飯塚に移り住む。

1642年(13才) 母と死別する。

1648年(19才) 二代藩主・黒田忠之に使える。

1649年(20才) 忠之より「閉門半月、謁見不能四ヶ月」を命ぜられる。

1650年(21才) 浪人となる。

1656年(27才) 父のとりなしで復帰し三代藩主光之に仕える。

1657年(28才) 藩命で京都に遊学する。

1668年(39才) 秋月藩士・江崎広通の娘・初(後の東軒)と結婚する。

1671年(42才) 藩主光之に「黒田家譜」の編纂を命じられる。

1678年(49才) 「黒田家譜」完成する。

1679年(50才) 宮崎安貞の「農業全書」の刊行に協力し、序文を書く。

1695年(66才) 「花譜」刊行する。

1700年(71才) 藩公務を引退する。

1703年(74才) 「筑前國続風土記」を四代藩主・黒田綱政に献上する。

1704年(75才) 「菜譜」を刊行する。

1709年(80才) 「大和本草」を刊行する。

1710年(81才) 「和俗童子訓」を執筆する。

1713年(84才) 「養生訓」を刊行する。妻の東軒、死去。

1714年(85才) 死去。墓は中央区今川にある曹洞宗金龍寺。

 1716年 「女大学」が刊行される。