佐藤一斎が関わった人々や弟子や薫陶を受けた人について
【林述斎(はやしじゅっさい)】
(1768年~1841年)
岩村藩主・松平乗薀(まつだいらのりもり)の三男で、林羅山を始祖とする林家に入り八代目となります。一斎はこの時に同行し、昌平坂学問所で鞭をとったと言うことです。
【安積艮斎(あさかごんさい)】
(1791年~1861年)
郡山の出で、江戸後期の儒学者。幕臣の小栗邸に私塾を開き、昌平坂学問所でも教鞭をとります。著名な門徒が多く、幕臣には小栗上野介、栗本鋤雲、会津の秋月悌次郎、志士としては清河八郎、吉田松陰、その他に三菱を創始した岩崎弥太郎などがいます。
【横井小楠(よこいしょうなん)】
(1809年~1869年)
肥後の出で、藩校時習館で教えたのち、松平春嶽に請われその政治顧問などを経験します。小楠は何を成し遂げた人物との疑問になかなか回答が浮かばないのですが、当時は教えを乞う志士が非常に多かったようで、発案、助言の人だったようです。勝海舟も「横井の思想を、西郷の手で行れたら、もはやそれまでだと心配していた。」と後に語っています。
1868年(明治元年)新政府に招聘されるものの、翌年に京都・中京区下御霊前町辺りで、刺客に襲われ暗殺されます。
【佐久間象山(さくましょうざん)】
(1811年~1864年)
信濃松代藩の出で、儒学、洋学を学び、大砲の製造などを手掛けます。象山の塾には、勝海舟、河井継之助、吉田松陰、橋本左内、坂本龍馬など幕末に活躍した人々が学んでいます。
しかし象山は開国論を唱えたため攘夷の志士より狙われ、京都三条木屋町で暗殺されます。
【大橋訥庵(おおはしとつあん)】
(1816年~1862年)
尊王攘夷を説いた儒学者。公武合体を進める安藤信正の暗殺計画を謀るものの、事前に事が漏れ捕縛されます。その後、訥庵は宇都宮藩に預けられるものの、そこで死去しています。
【西郷隆盛(さいごうたかもり)】
(1828年~1877年)
維新の元勲。寺田屋騒動に関わったと島津久光から疑われた西郷は沖永良部に配流されます。島の生活で時間を持て余した西郷は島の青年に学問を教え、また持ち込んだ書籍を読み耽ります。その本の一つが佐藤一斎の『言志四録』でした。西郷は『言志四録』から心に触れた101篇の記事を抜き出し『南洲手抄言志録』を記しています。