女大学と女大学評論 その⑤

『女大学』
右の條々稚時(いとけなとき)能(よ)く訓(おしふ)べし又書付て折々読しめ忘ることなからしめよ、今の代(よ)の人、女子に衣服道具抔(など)多く與(あた)へて婚姻せしむるよりも此(この)條々を能く教ふること一生身を保つ宝なるべし、古語に人能く百萬銭を出して女子を嫁(か)せしむることを知て十萬銭を出して子を教ふることを知らずといえり誠なる哉(かな)、女子の親たる人此(この)理を知らずんば有べからず。
女大学終
 
『女大学評論』
「(前略)・・・我輩は固(もと)より記者の誠意を非難するには非(あら)ざれども女子学の著述以後二百余年の今日に於て人智の進歩時勢の変遷を視察し既往(きおう)の事実に徴して将来の幸福を求めんとするときは如何にしても古人の説に服従するを得ず敢(あえ)て反対を試みる所以(ゆえん)なり。」
と福沢先生は前置きし、19からなる各條の批評をまとめています。そして次の通り続けます。
「封建社会の秩序に適合せしめ又間接に其(その)秩序を幇助(ほうじょ)せしめたるが如き一種特別なる時勢の中に居て立案執筆したる女大学なれば其所論今日より見ればこそ奇怪なれども当年に在ては決して怪しむに足らず弓矢鎗劔(ゆみやそうけん)、今の軍器としては無用の長物、唯一種の玩具なれども昔年(せきねん)は一本の鎗を以て三軍の成敗を決したることあり昔は利器たり今は玩具たり今昔の相違これを名けて進歩時代の変遷と云う学者の注意す可(べ)き所のものなり左れば我輩は女大学を見て女子教訓の弓矢鎗劔論と認め今日に於いて毫(ごう)も重きを置かずと雖(いえども)も論旨の是非は擱(さしお)き記者が女子を教ふるの必要を説く其熱心に至りては唯感服の外なし依って今我輩の腹案女子教育説の大意を左に記し之を新女大学と題して地下に記者を質(ただ)さんとす記者先生に於ても二百年来の変遷を見て或は首肯(しゅこう)せらるることある可(べ)し」
女大学評論終
 


右の條々・・・『女大学』の19條からなる各條の事
腹案女子教育説の大意を左に記し・・・福沢先生は『女大学評論』で『女大学』の批評を行った後に、本題の『新女大学』を掲載しています
 

この『女大学』の末項は『和俗童子訓 巻之五』の末に似たような記述があるようです。