行蔵は我に存す

福沢諭吉は『瘦我慢の説』という書で、幕臣でありながら新政府に仕えた勝海舟を批判した上、この書の公表の了解を勝自身に求めています。
 
福沢はこの書で勝の功績を認めながらも
「権道(けんどう)に就く可(べか)らず俗に云う武士の風上にも置かれぬとは吾一身の事なり」と批判しています。
 
これに対し勝は、自身が批判に値するほどの大人物でないと前置きし、福沢の指摘に謝意を表しています。
そして次に
 
「行蔵(こうぞう)は我に存す 毀誉(きよ)は他人の主張 我に与らず我に関せず」(出処進退は自分が決めるものであり、批評は人のすることで、自分が関与、関知するものではない。)
 
と書き、『瘦我慢の説』の公表を了解しています。
 


権道 ・・・ 結果、理には叶っているが、道から外れた手法。ここでは新政府に出仕した事を指す。
吾一身 ・・・ 勝の事
行蔵 ・・・ 出処進退
毀誉 ・・・ 批判と称讃
 
蛇足になりますが、この件について勝は『氷川清話』で次の通り語っています。
「徳川幕府あるを知つて日本あるを知らざるの徒(ともがら)は、まさにその如くなるべし、唯百年の日本を憂ふるの士は、まさにかくの如くならざるべからず」